2020.06.06
努力すると負ける
努力家というのは、努力で優越感を感じている。
逆に言えば、努力することで劣等感が生まれる人もいるわけだ。
苦手なことを避けるのはそれなりに合理性がある。
合理的に考えて怠けている人もあまりいないだろうから、不合理とも言えるが、苦手ならいっそのこと何もやらないほうがいいのも確かである。
苦手なことを一生懸命やるのは時間の無駄であり、やらない方が正解ということもある。
おそらく問題なのは、このあたりの合理的な課題を合理的に判断してないことであり、優越感と劣等感で動いているだけだから、苦手なことがさらに苦手になり、それが生きていく上で不合理になり得ることである。
苦手であっても身につけたほうがいいことはあり、ここは愚痴愚痴言わずにやったほうがいいのである。
逆に身に付けなくてもいいことは努力しないほうがいいし、むやみに頑張ってしまうと時間の無駄である。
必要性に合わせられるかどうかなのである。
結局のところ、怠けるというのはひとつの抵抗運動であり、苦手だからサボるわけである。
年上が年下に努力を説くという構図があるが、実際は大人が努力しない問題があり、むしろいい年をした大人の問題なのである。
苦手だから怠けて偉そうにしてみせるという心理的防衛を大人がやるから、子どもがそれを真似するというのもある。
リストラ部屋に行かされるのも、おそらく謙虚さがないのであろうし、プライドだけが高くなった結果である。
出来損ないが偉そうな態度を取るのは、自然といえば自然である。
あるいは、尊大な性格の人間は、得意なことは威張り、苦手でも威張るのかもしれないが、これは狂気ではなく正常な俗人の病なので、手の施しようがない。
逆に言えば、努力することで劣等感が生まれる人もいるわけだ。
苦手なことを避けるのはそれなりに合理性がある。
合理的に考えて怠けている人もあまりいないだろうから、不合理とも言えるが、苦手ならいっそのこと何もやらないほうがいいのも確かである。
苦手なことを一生懸命やるのは時間の無駄であり、やらない方が正解ということもある。
おそらく問題なのは、このあたりの合理的な課題を合理的に判断してないことであり、優越感と劣等感で動いているだけだから、苦手なことがさらに苦手になり、それが生きていく上で不合理になり得ることである。
苦手であっても身につけたほうがいいことはあり、ここは愚痴愚痴言わずにやったほうがいいのである。
逆に身に付けなくてもいいことは努力しないほうがいいし、むやみに頑張ってしまうと時間の無駄である。
必要性に合わせられるかどうかなのである。
結局のところ、怠けるというのはひとつの抵抗運動であり、苦手だからサボるわけである。
年上が年下に努力を説くという構図があるが、実際は大人が努力しない問題があり、むしろいい年をした大人の問題なのである。
苦手だから怠けて偉そうにしてみせるという心理的防衛を大人がやるから、子どもがそれを真似するというのもある。
リストラ部屋に行かされるのも、おそらく謙虚さがないのであろうし、プライドだけが高くなった結果である。
出来損ないが偉そうな態度を取るのは、自然といえば自然である。
あるいは、尊大な性格の人間は、得意なことは威張り、苦手でも威張るのかもしれないが、これは狂気ではなく正常な俗人の病なので、手の施しようがない。
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