このところ一軒家を買う人が増えているそうだが、セールス対策への意識が薄れていると思われる。コロナが完全になくなったら対面営業が復活するかもしれず、そこは不明瞭だが、インターネットでいろいろと調べられる時代だと、営業マンと顧客の情報格差も縮まってしまうし、コロナ禍を大きな曲がり角として営業職は荼毘に付されるのかもしれない。昭和の頃だと、「さっき刑務所から出てきた」と前口上を述べる押し売りが本当にいた。あと、新聞勧誘員(拡張団)に恫喝されるのは日常茶飯事であった。昔だとそう簡単に警察は来ない。相手が刃物を取り出したとして、それが腹部の表皮を掠める程度では甘く、内臓まで到達したらようやくお巡りさんがやってくる。穏健になった今日では、粗暴性で牙を向いてくる営業は廃れているが、営業マンは面子ををかけて向かってくるのだから、面子を潰さないように苦慮せねばならない。営業マンを小馬鹿にしてもまったく問題ないし、彼らが内心で殺意を抱いたとしても何もできやしないだろうが、そこで優位に立っても無意味だし、自宅で迎え撃つとなれば尚更である。ともかく対決が重荷なのである。勝っても寂寥たる無意味さに胸糞悪くなるだけなので、手遊びとしてもつまらない。なんにせよ、この手の輩が絶滅することはないにしても、死骸は確実に増えていくであろうし、死に損ないが半死半生でたどり着く程度であろう。訪問販売が廃れるのであれば、一軒家の方がいいというのはある。それにしてもセールスとは何なのか、というと、逆恨みの原理なのであろうし、よく知らん営業マンの頼みを断ることでさえ大変なのだから、政界の大立者が面子をかけて利権を守るみたいなのは廃れない。頼みを断られたら逆恨みというのは、人類に奥深く根を張っているやり方であり、これで精神病院に拘禁されることはないし、大概は精神病院から最も遠い人種というか、ソーシャルスキルの発揮なのだから困ったものである。営業というのは、仕事を引き受ける側なのに相手に頼みに行くという奇妙な行為だが、これが政治的動物の特徴であるなら、やすやすと死なないのかもしれないし、狭義の対面営業は減るとしても、頼む側と頼まれる側が倒錯している社会が揺らぐのかは判然としない。頼む側と頼まれる側の立場がおかしいのは、つまり押し売りということだが、人間が人間である限り、広義の押し売りは消えないかもしれないし、であるのならば、セールスマンが減ったところで万古の憂いが癒えることはあるまい。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング