コロナの記事で怒髪天を突くのは、親の死に目に会えない云々の嘘泣きである。普段から高齢者と接していたら出ない発想である。介護もしないで、都合のいいときだけやってくる連中だから、「死に目に会えない」とか騒ぐのである。臨終とかイベント性のあるときしか来ないから、そういう発想になるのだ。だいたい街をうろうろしている高齢者を見たら、こいつらと一緒にいるのはさぞかし大変だろうと思うわけである。だから、臨終のときに立ち会って感動ポルノに出演するだけにとどめておきたいという都合の良い考えが起こる。人間は死ぬと腐臭を発するが、本当の腐臭は生きている人間である。生者の腐臭が消えたあとに、ご臨終の腐臭だけ嗅ぎに来るというのは、あまりにも都合が良い。この手の感動ポルノが野放しにされ、そして小中高生の自殺者は四割増しなのだから、われわれは生きている人間が嫌いなのではないかと自問自答せざるを得ない。「死に目に会う」ことにこだわるのは、いかにも人情深く思えつつも、やはり、生きている爺さん婆さんに会いたくないのではないか、という強い疑問が付される。老人がうろうろ徘徊しているのも、同居家族から疎まれているからかもしれないし、こういう死にぞこないがいざ死ぬとなると同居してない子どもがやってきて一芝居打つのだからたまったものではない。「子ども」と言っても高齢者の息子や娘だから50歳とかであるし、要するに感受性は枯れているが相続財産だけは欲しいのである。老人が大切だというのなら、臨終のときに駆けつけるのではなく、普段から相手をしてやってほしいものである。実際は暇を持て余している老人と関わると大変だから疎ましいのだし、だから臨終のときに精算しようとするのだろうが、この手の輩が社会を蝕み、小中高生の自死を増やしている。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング