なぜ心理学が毒親云々の話ばかりになるのかといえば、やはり他人に強いるのは楽しいからであり、親という立場だとそれが最もやりやすいからである。そして、心理学の本では、毒親がいなければ自分自身の素晴らしい人生があった、みたいな話になるわけだが、これはインチキだと思う。やはり誰しも自分でやるのはしんどい。毒親がいてもいなくてもどっちみち怠けていた、とも言える。普通の家庭で情緒が安定していると(つまり気性が激しくなく温厚な性格なら)、物事を素直にやれる傾向はあるだろうが、とはいえ、やはり自分でやるのはしんどい。毒親が云々ではなく、そもそも人間の業病として、他人に強いるのは楽しく、自分でやるのはしんどいというのがあり、この快楽主義を直視しなければならない。他人に強いてみたところで、なかなか都合よくいかないし、イライラするストレスも大きいから、しんどくても自分でやった方が結果として達成感があるのだが、そこまで辿り着けるかという問題があり、それこそ、親に強制されたほうが捗ることすらある。ともかく、自分でやるのがしんどいから、他人に期待するのである。たとえば絵が下手な人が、絵の上手い人と友達になりたがるというのがあり、ではそういう寄生が成功するかというと拒否されるのがたいていであろうし、万が一寄生に成功して「俺はあの有名イラストレーターと友達なんだ」と自慢しても虚しい。これが親子関係だと、自分ができないことを子どもにやらせるというのが(そう都合よくいくかは別として)成り立ってしまうので、人間の業病が発現しやすい。なんにせよ、自分の力で頂上まで登るのがしんどいから安易な方法を考えるわけで、そこが問題の根底だから、毒親がいなければ素晴らしい人生になっていたとか、それは妄想である。だからフロイト的な心理学は誤謬であるし、これこそが最大の毒である。







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