人権団体に謝罪して済まされることはない。なぜなら彼らは「これさえなければ(これさえあれば)」という思い込みに固執しているからである。たとえば手足がない人がいるとして、「手足さえあれば」と思うのは無理もないが、しかし、世の中の五体満足な人がそれほど満ち足りているかどうかは謎である。手足がない人に手足が生えたところで解決しない問題はいくらでもある。つまり、人生の苦悩の原因をたったひとつに求めるという誤謬である。人権活動するひとは「これさえなければ(これさえあれば)」という論法で動いているから、その執着は並大抵ではないし、世の中のいろんな悩みへの想像力に欠けている。いや、想像力を持てば解決するわけでもないし、自分の眼前に立ちはだかる関門が苦悩の原因のすべてだと思いこむのは仕方あるまいが、おそらくその関門が無くても、別の関門が立ち現れたはずなのである。たとえば最近わたしが目にした中で莫迦莫迦しいと思ったのは、精子バンクで精子を提供されて生まれた人間が自分の本当の父親が誰なのか知りたいと髪を振り乱して切実に語っている記事であった。自分の遺伝的な父親さえ特定できればアイデンティティの不安がすべて解決するらしいのである。それが人生最大の悩みとかどれだけ恵まれた人間なのか言語に絶するしかない。普通に生きていれば、もっと深刻な悩みに首位を譲ることになるだろう。なにか実存不安があるとして、自分の父親がわからないのが本当に自我同一性危機の核心なのかということである。あるいは、もっと悩みが深い事例でいうと、トランスジェンダーはそれ自体深刻な苦悩であろうが、自分の性別のトイレに入ることが究極の目的になってしまっている人もおり、場合によっては実はトランスジェンダーではなかったという真相さえあるのだ。肉体を改造手術してから実はトランスジェンダーではなかったと気づくとか、あまりにも無残である。手足がない人に手足が生えてきたとして、本当に足りてないのは手足ではなかったと気づくこともあるだろう。人生至るところに関門があるので、悟らなければならない。







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