2021.05.09
池江瑠璃子と宇都宮けんじ。その党派性。
さて、最近は「中傷された」と申し立てる著名人がたくさんいるわけである。活動がままならず、それでいて野次だけは飛んでくる苦界であるから、経済的な不安も合わせて心労は察するに余りあるが、悪疫に侵食された地球上では有名であれ無名であれ誰もが困難に陥りうる。防疫という観点から、ウィルスが国境を超えてブレンドされることは避けねばならない。池江瑠璃子に抗議しても仕方がないというのは正論極まりないが、ここに一抹の党派性を見て取ることもできる。共産党の宇都宮けんじが署名運動を始めたから、いわば推進派のマドンナである池江瑠璃子が、反対運動の悪質性を訴える立ち位置になったのである。オリンピックが大企業のスポンサーマネーで成り立っていることを考えると、党派性が背景にあるのは当然である。自民党と大企業の結びつきについては言うまでもない。党派的だから党派的なのだ。大企業も本当はオリンピックのスポンサーを降りたいのであろうが、今更降りられないのである。そもそも大企業も本当は広告など出したくないのだし、口止め料のバラマキである。これからコカ・コーラやトヨタ自動車に鉾先を向けるしかないが、その役割にふさわしいのはやはり日本共産党である。開催の可否について、池江瑠璃子が埒外であるのは論を俟たないが、スポンサーからの需要が極めて高い象徴的な存在であることに間違いはない。その商品価値が無に帰することが不安なのか、あるいは悲劇のヒロインとしての立ち位置だけでも確保しようということなのか、トリックスターとして舞台に上がってきたのである。狂言とまでは言うまいし、中傷被害も実際にあるだろうが、あえてそれを声高に言い立てるような苦境に追い込まれているのである。つまるところポジショントークである。われわれはアスリートに同情している場合ではない。スポーツ大会だから駄目というのではなく、世界中から人を集めるイベントが悪なのであり、これを食い止めるために万策を尽くさなければならない。まずは国境を封鎖し、その上で最低限の経済を維持していくしかないのである。このような原理原則の確認が揺らいでいるから、なぜか劇場は許されて映画館が封鎖されるという奇妙な状態になっている。映画館であれば、出演者がその場にいるわけではないので安全だと思われるが、ライブ感がないからこそ規制しやすいのであろう。空港での検疫が甘いのもオリンピック関係者の入国を見据えてのことである。オリンピックのために物事の理非が歪んでいる。大企業と自民党の結びつきが腐敗の背景にあるとすれば、ここで日本共産党が出てくるのは必然的であり、党派性は避けられないが、ではどの党を支持するべきかと言えば日本共産党となる。東京五輪のスポンサーをするというのは、論壇同友会の機関誌を買うのとなんら径庭がない。最終的にはコカ・コーラとトヨタ自動車に決断してもらう必要があるし、ここまでの罪過の重さも問わねばならない。
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