2021.05.25
赤字とは何か?
東京五輪を巡って殺伐とした昨今であるが、赤字は赤字で致し方ない。地方の公共事業だってそうではないか。たとえば100万円の費用を掛けたプロジェクトとして何かを作ったが、誰も買ってくれず赤字になったとする。これは100万円の損失である。それに対して、過失で100万円の札束を燃やしてしまった場合はどうか。これも一応は損失であり、その点ではイコールだ。しかし、何かしら違いはありそうである。100万円のプロジェクトで費用を使ったのであれば、従業員の給与になったのかもしれないし、あるいは、どこかの誰かの所得になったかもしれない。100万円を燃やしてしまった場合とは話が違うであろう。東京五輪の損失にしても、たぶんどこかの誰かの所得にはなるわけである。100万円を燃やしたのとは違って、どこかの誰かの所得にはなっているわけだ。IOCに巨額賠償となると、さすがに人類愛の次元になるので、それはまた別の話だが(巨額賠償を払っても中止するべきだとは思うが)、なんにせよ、日本人の中で還流するのであれば甘受するしかない。それがたとえ電通の中抜きであっても、電通マンが浪費すれば経済の回転には貢献するかもしれない。電通マンは日本人とは限らないし、むしろそうではないかもしれないが、日本国内で浪費するなら消費税は払うしかないし回収はしうる。狭い視点から見ると、電通にお金をやるくらいなら燃やしたほうがマシとも思えるが、実際は電通の懐が潤うことでどこかに循環されることもあるだろう。国家という視点から見ると、赤字はまったくのマイナスとは言い切れない。どっちみち誰かの懐に入るから赤字でも構わないというわけではないし、いわばカーストの固定であるから、特権階級への垂れ流しは腐敗国家の典型でもある。底辺へのおこぼれは底辺労働だけであり、そこに発展はない。だが、今更時間を元には戻せないので、国家として完全に無駄な赤字ではないという側面も見ておく必要がある。その上でこれ以上の腐敗を食い止めるために特権階級は破壊しなければならない。カースト上位の連中が中抜きしているだけだと、空洞の国家である。もはや日本は旧先進国として、空疎な社会になっているのかもしれないし、手遅れでもあろうが、われわれはまだ生きているので手を尽くさなければならない。
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