2021.05.28
目標達成へ確信歩きする若さ
小室圭さんについてはあまりよく知らないのだが、これからアメリカの司法試験を受けるそうである。日本より難易度は低いそうだから、受かると予想されているが、それにしても、彼の確信歩きが興味深い。念の為、皇室のコネとかいう話ではない。目標が達成されるのを当然の前提として生きているのは若さの特徴であり、そこが興味深いと思っている。そして、そのまま達成することもあれば、挫折することもある。小室圭さんは今の所、達成を確信している状態であり、この態度はおかしいと言えばおかしいが、意外とよく見かけるものである。合格してもいないのに合格を確信しながら人生を送り、その結果として合格できなかったらどうするのか、という疑問もあるし、日本の法科大学院とかそういう人を大量に生み出しているはずである。目標に向かって確信歩きをして平凡な外野フライだったということが起こりうるのである。あるいは、確信歩きのまま本塁打になったとして、一個人としては成功と言えるが、失敗する人がいてこその話である。誰でも本塁打を打てるなら本塁打に価値はないし、やはり確信歩きが外野フライで終わることは多々あるに違いない。小室圭さんがまだ試験に受かっていないのに確信歩きをして支離滅裂な主張をする状態に陥っているのは、小室圭さんの異常性というよりは、資格試験が持っているいびつさなのかもしれない。弁護士は双方代理が基本的に禁じられているので、どうしても一方的な意見を持つことになる。本職の弁護士も支離滅裂な文章を書くのが常であるし、これは弁護士という資格の権威によって、そういう怪文書が脅迫として機能しているのである。原告/被告の関係からすると一勝一敗のペースであり、半分は負けるので、決して正しくはないはずなのだが、お互いにビンボールを投げあう職種である。もし小室圭さんが不合格なら、それはそれで資格試験のひとつの側面であるし、合格して意気揚々とするのも、またひとつの側面である。
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