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なぜかこのところ、冴えない中年男性の典型として塚越孝アナウンサーのことが思い浮かぶのだが、この人は1955年生まれである。厚生労働省の統計でいうと、1955年時点で日本人男性の平均寿命は63歳であった。1990年には平均寿命75歳となり、2019年では81歳である。つまり、以前であれば、定年後の余生(現役を退いたあとの人生)というのはそんなに長くなかったが、高齢化社会の進行で余生がとても長くなっている。塚越アナは57歳で命を断っているが、平均寿命が63歳の頃なら、悩みも少なかったかもしれない。60歳(もしくは65歳)で定年であるとして、そこから81歳までどう生きるかと考えると煩悶も深くなったと思うのである。わたしは塚越アナがニッポン放送にいた頃から「丸くてほがらか」というキャラクターに違和感があったが、いわゆる会社人間としてステレオタイプを演じていたのであろう。1955年生まれの男性としては、実直に会社人間として生きることで終身雇用・年功序列を全うし、つつがなく人生を終えると思っていたはずだ。やはり、終身雇用の崩壊や高齢化社会に直面して、価値観が崩壊しているのも大きい。塚越アナは独身だと思われるが、そこも含めて定年後の未来が真っ暗に見えたのであろう。1955年生まれの価値観としてはフジテレビを恨むのも、それなりにもっともなのである。現在のわれわれからすれば逆恨みにしか思えないが、塚越アナは典型的な会社人間であろうから、その価値観からすると会社を憎悪するのは不思議ではない。われわれの命の価値観も平均寿命の伸びと関係あるだろう。昭和の頃は人命の扱いが粗暴だったが、平均寿命が短いから(残りの命が短い)こそだったのであろう。やはり80歳まで生きるとなると、どうしても余命が長いので雑には生きられない。なぜわれわれは寿命を伸ばしているのか、という謎でもある。70歳で死ぬのと90歳で死ぬのはそんなに違うのか、という話である。違うと考えてるからこそ、新型コロナウィルスでの世界的混乱があるのだろうし、十代の自殺が四割増しという奇妙な現象も、やはり老人の命が大事という倒錯なのである。死という難題を回避している結果として老人の長寿が不当に高く評価されてしまう。日本の政治家も高齢者だらけであるし、長生きそのものが最大の病となっている。寿命が伸びても、人間が若くなるわけではなく、ヨボヨボの期間が長くなっているだけなので深刻だが、コロナでこれだけダメージを受けても老人を切り捨てられないのだから、死を受け入れたくないという人間の業病が問題、もしくは人間そのものが業病というか、途轍もなく厄介である。







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