明治維新に勝者も敗者もない。武士が不要になっただけである。新政府で要職についた勝者は近代化の立役者ということになっているが、実のところ、会社が倒産したあとに転職に成功した人という具合である。たとえば徳川慶喜が勝者になっていても、似たりよったりだったと思われるし、徳川慶喜が近代化を進めていただけである。西郷隆盛が西南戦争で非業の死を遂げたのも、武士がリストラされたという巨大な現実にお付き合いせざるをえなかったのだし、たまたま彼が武士の没落を鎮魂する象徴になったのであろう。誰のおかげで近代化が進んだというわけではないし、武士は没落するしかなかった。そのリストラの過程で勝敗めいたものがあった、だけのことである。なぜ、そういう当たり前の指摘をする人がほとんどいないのかというと、どのチームが優勝しても同じという身も蓋もない話だからであろう。会社が潰れて新会社になるとして、栄達した人と路頭に迷う人がいるなら、その人生はあまりにも対極であり、優勝した人間が見る風景と最下位の人間が見る風景は真逆である。不良品を廃棄すればいいという話とは違う。たぶんその出来不出来の軋轢が人間ドラマなのであり、それぞれが個別の重大性を生きているのである。「どっちみちどこかのチームが優勝してくれますよ」とか野球選手やサッカー選手が言っていたら、とてつもなく奇妙な話であろう。そりゃあどこかが優勝するのであるが、自分が優勝しなければならないという差し迫ったストーリーを生きているのである。







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