2022.02.26
孤独がありふれており
研ぎ澄まされた孤独感を持つのがとてもむずかしい。コロナがサナトリウム文学を生み出しそうにないのは当たり前で、そもそもコロナに感染してない人の方が多いし、感染しても軽症であるので、闘病生活がない。肺炎で集中治療室に入ったとしても、やはりこの程度の病気で文学は書けない。風邪を引いて死にそうだった、という作文では生きることの痛みや切実さを欠いている。戦いようがない敵、この長患いは生ぬるく、なぜか体がかゆくて寝苦しい不愉快さである。本来なら孤独というのは、もっと鋭利なものであるはずだ。自力で解答に辿り着こうという気高いものである。コロナにおいてひとびとは緩慢な孤独に陥っており、この泥濘をSNSで紛らわせたり、もしくは人付き合いが減って楽だと安堵して自宅でくつろいでいる。人と会わなくていいから助かるというのは、ずいぶん薄い孤独であり、自ら選び取った孤独ではない。孤独とは、ただの独りよがりであるにしても自ら道を切り開こうとする姿勢である。青春時代に特有の錯覚として、自ら独自に発見したものは、人類初のものであると考えてしまうことがあるが、そういう愚かしさがあるにしても、独自の解答に辿り着こうとする孤高の姿勢は人間にとって大事なものである。いわゆる車輪の再発明というか、前人未到どころか、とっくの昔にたくさんの人が辿り着いていたことだらけだが、やはり自らの決断で歩を進め、自力で解答にたどり着く孤独に価値がある。自分だけの服を誂えるのはコストが高いし、万人向けの服を着たほうがよいが、人生は誰にも相談できず自分で抱え込むしかないこともある。多くの人が通った道でも自分にとっては初めてのことである。すでに他人が描いた地図があるとしても、自分の足で歩いて外気に触れ、生傷を疼かせて、腐臭を嗅ぎながら死屍累々たる穢土をマッピングするべきなのである。コロナ禍の現在においては、感染対策として他人と距離を取っているだけなので、無価値な孤独であり、苦界であることに疑いはないにしても、決して独自の道を模索しているわけではなく、判で押したような通俗的なしんどさだけがある。全員が同じ囚人服を着ているようなものである。この茫漠たる孤独は、ただの苦痛であり、そこから見渡す風景はただの虚無である。
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