なぜ歴史が終わったのかというと、医学の発展で人間が死ななくなったからである。何百年も前だと、個人個人の寿命は予測不能であった。大病すればあっさりと30代や40代で死んでしまう。疫病や飢饉もある。たとえば遣唐使は、三分の一くらいは沈没して死んでいるはずだが、それでも空海は遣唐使の船に当然のごとく乗った。なぜ沈没リスクがあっても船に乗るのかといえば、後生大事に自らの命を守っても、なにか別の理由で死んでしまうのが大きいと思う。自分の命でギャンブルをする合理性があった。あるいは他人があっさりと病死して、世界の局面が大きく変化したりする。病死と事故死にさしたる径庭もなく、命は軽かった。翻って、われわれ俗人がのうのうと暮らしている現代社会は、生命に関するアクシデントがとても少ないので、たとえば50歳なら、あと30年は生きると予想できてしまう。人生80年の保証書が付いて生まれてくるようなものである。お互いに人生80年を保証し合うのだから五人組みたいで息が詰まるし、囚人服を着せられた懲役80年と考えて差し支えあるまいが、権利社会において自縄自縛に陥り高齢化社会という泥土に塗れている現在地である。権利と不良債権は背中合わせで、相互監視が猖獗を極めており、人間平等という美名の元に、夾雑物のような有象無象が命を守り通そうとしているのだ。本当に価値があるのかどうか実感できず鬱屈しながらも、なかなか行き倒れのような餓死も難しいので、人生への不安はあれど、文字通りの死が差し迫ることは少ない。首を絞められても死ねない呪いのようなものだ。人命尊重がゆえの虚しさが世界の根底にあり、死んではいけないから身動きが取れず、抽象的な命の価値だけが高止まりして、間違っても命を使い捨てることなどできないから、われわれは歴史を喪失している。80歳まで生きれば命を使い捨てたことにはならない、という通俗的な人生観がわれわれを蝕んでいる。そう、命を使い捨ててこそ歴史なのであるし、80歳まで生きたら歴史にはならない。切り札を使わないまま80歳になったということなのである。







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