2022.07.12
「真面目にやれば報われる」という危険思想
安倍晋三を殺害した犯人もそうだが、真面目な人間は腐りやすい。真面目にやれば報われるという信念で生きているから、報われなかったときの怒りがとても強く、その攻撃が他者に向かったり、そうでなければ、不貞腐れるだけの真面目系クズになるわけだ。いや、安倍晋三の犯人についてはさすがに背景が極端なので、典型的な事例とは言い難いが、真面目人間の怨みの強さというのはよくある。真面目な人はよだれを垂らしながらご褒美を待っている。ご褒美がなければ怨みを持つ。おそらく性格の評価として「真面目」と言われる人と「温厚」と言われる人の違いである。温厚とされる人は気が長く、ごく自然に真面目だったりする。真面目と言われる人は、フロイト神経症の患者のようで、人参のために走っているようなところがある。なにかしら見返りを求めて頑張っている人は、人生がうまくいかないと、虚空に手を伸ばし続ける壊れた機械のようになり、それが反復強迫になる。「真面目にやれば報われる」というのは、決まり文句になっているので、われわれはよく考えずに他人に対して励ましの言葉として投げかけてしまうが、決まり文句で思考が短絡化するのはよくない。報われるために真面目にやる、というのはやや動機が不純であるし、見返りを求めない真面目な人のほうが価値は高い。というか、すでに述べたように、あまり見返りを求めない人は温厚な性格と言われる。まったく温厚と言われず、真面目だと頻繁に言われてしまう人は、気性が激しいと思われているのであろうし、我慢して頑張っているというか、抑圧されているというか、そういう張り詰めた具合なので、糸が切れてしまえば箍が外れて自暴自棄になりやすいところもある。温厚だと言われない真面目人間は危険人物だと言っても差し支えない。たまたまご褒美が出てくればいいが、そうならなければ腐るか暴れるか、ろくな人間ではない。
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