われわれは目標を見失って生きている。いや、目標がある人もいるだろうし、もしくは、目標がなくてもごく自然体で努力している人もいるだろうが、そうもいかない場合は、何らかの形で自らを鞭打つ必要があり、そのために自己啓発という奇妙な市場が生まれる。なにかしら啓示を受けて一時的にでも気分が高揚すれば、それでいいという場合もあるだろう。たとえば読書の意義について啓発した本を読むことで、読書量が増えることもあるだろう。おそらく読書が習慣づいていれば、啓発されなくてもごく自然に読んでいるだろうし、モチベーションが高まってようやく本を開くのでは遅いのだが、人間は重力の魔に囚われて生きているので、絶望という病臥から身体を起こすために気分の高揚が必要であることもある。自己啓発本を読んでいる段階でそいつは駄目だと思うのだが、無気力で寝ているよりはマシであろう。蜃気楼のような目標が見えているだけで人間は前進できる。目標は現在の自分を礎にして成り立つから、現在に帰属しているのだが、未来は不確定なので、未来に帰属していると考えることも可能だ。一念発起して、今から難しい資格の勉強を始めるとか、おそらく無理だとは思うのだが、何もしない状態と比較すれば、蜃気楼のような未来を追いかけるほうがマシではある。つまり、現在の自分から積み重ねていく目標を生きている人と、啓発されて突発的に未来が開けたように高揚している人ではずいぶん違いがあるが、虚無から逃れられるのであれば、それに越したことはない。老化現象で鬱になっている人が「肉体は若返る」とか、そういう本を読んでその気になってトレーニングでもすれば、少しは健康的であろう。肉体は若返らないという現実に押し潰されているよりは、嘘を信じて努力したほうがマシである。とはいえ、ひとびとが未来を悲観して鬱屈して生きているのは、躁状態への警戒があるのかもしれないし、明るい未来を物語って浮かれることへの懸念があるのかもしれない。自己啓発を専業にしている人が宗教めいているのは、気分を高揚させることが生業だからであろうし、笛を吹いて踊らせるというか、踊らせれてセミナーまで参加するようになったら終わり、というより、そこが問題なのであろう。パチンコで大当たりすれば高揚感が得られるが、トータルでは大損である。それであれば未来を悲観して寝ていた方が安全というのもあり、困ったところである。







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