2022.09.23
羨ましいと思う義務
われわれは消費する主体としては、誰もが一人前であり、美女や美酒を豪邸で楽しむことは(楽しむ能力としては)誰もが可能である。たとえば西武の源田に成り変わって乃木坂の妻を持つのも、そういう体験をする能力は(楽しむ能力としては)一人前である。また、人間には位置エネルギーがあり、西武の源田を見てまったく嫉妬しないとなると「すっぱい葡萄」とか言われそうである。むしろ羨ましいと思うのが義務であり、その位置エネルギーを感じなくてはならない。源田のチームメイトの妻の問題も、なんというか、羨ましいと思う義務もあるだろうし、妻と妻のカーストというか、人間と人間がひしめき合う世界の難しさである。つまり西武の源田と接したとして、そこら辺のおっさんと同じように扱うのも難しい。人間はあまり個別性を持っておらず、「他人に成り変わる」という欲望をもっており、それはそれで(欲望とか夢としては)可能であり、今回の件は西武ライオンズのチームメイトであるからまさに「他人に成り変わる」欲望が発動しやすかったと言える。われわれの人生でもこういうくだらないことがあるのである。ともかく、嫉妬がよくないと言われると同時に、羨ましいと思う義務とか位置エネルギーを感じる義務というのがあり、そこに無頓着ではまずいのである。本当に他人に「成り変わる」ことができるのかはなんとも言えないし、たとえば源田にしかわからない守備の感覚とか、個人個人その人だけが到達している境地もあるはずだが、どうしても通俗的には、寝ているときに夢の中で野球選手になったりするようなもので、(貧乏人が金持ちの生活をするのが可能という意味では)誰もがなりうる立ち位置である。何と言っても、プロ野球選手で妻が乃木坂という人をまったく羨ましいと思わないのも失礼という根源的問題があるから困った話である。やはり羨ましいと思うのは社交辞令として義務なので、嫉妬はよくないという単純な話ではあるまい。
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