2022.11.02
現実でも人間は匿名
ネットで人間は匿名だという議論があるが、そもそも現実でも人間は匿名である。現実世界で訴えたい相手はいろいろいるが、意外と相手の名前や住所がわからない。現実で接触する相手が匿名ということはむしろ普通である。わかりやすい喩えで言えば、「あの店員を訴えたい」とか「あの客を訴えたい」と思っても、なかなかわからない。普段からよく見かける嫌な奴だが、そいつの名前や住所なんぞわからん、もしくはわたしが迷惑行為をしたとしても、(警察沙汰になれば話は別だが)自らの名前や住所を名乗る義務など無い。ともかく、世の中、そういうことだらけなのである。たとえば撮り鉄というのがいる。鉄道会社としては迷惑だから訴えたいくらいであろう。だが、こいつらが常習的に迷惑行為をしていても、なかなか正体がわからない。つまり、名前や住所を答える義務がないので、いつもいつもいつもいつも見かけるが、名前や住所はわからないという現象が発生する。良くも悪くも、名前と住所を名乗る義務はないのである。われわれはそういう正体不明の相手と世界を共有しているのである。これは都市空間ならではの匿名性とも言える。そしてわれわれはそういう匿名性を謳歌しているのも事実である。今はコロナでマスク生活だが、基本的には顔をいつも晒しながら、匿名の人間として街を徘徊している。物事には一長一短があり、誰が誰なのかすべて身元を把握している村社会が素晴らしいというわけではあるまい。むしろ名前と住所を名乗る義務がない都市空間をわれわれは楽しんでいる。であるから、自分の身元が不明である代償として、他人の身元も不明になってしまう。
スポンサードリンク