スシロー問題の正義感の暴走は万古の憂いである。大騒ぎするよりは意に介さず店に行ってあげたほうがよほど助かると思うが、刑罰感情の強いひとにとっては格好のネタなのだろう。そもそもこの3年間われわれがコロナで苦しんだことからおわかりの通り、人間は飛沫を飛ばす存在である。世界は鼻水と唾液に満ち溢れている。マスクをしていても止められないし、ノーガードで飲み食いするとなればなおさらである。飛沫の交換こそが人間社会であり、無菌室にすることはできない。回転寿司でなくても、飲食店の店内は飛沫で溢れている。みなさんが食べている料理には他人の飛沫が降り注いでいる。スシロー問題は飛沫恐怖症のヒステリーと言ってもよいが、つまるところ強迫神経症である。強迫神経症とは、万が一のことを非常に強く心配するものであり、決して完全な妄想ではない。自動車を平気で運転できるのも、交通事故の可能性を黙殺しているからである。外出できるのも、自宅に泥棒が入ったり火事になったりする可能性を忘れているからである。「自宅が火事になったらどうしよう」と身震いして動けないのであれば外出ができない。自宅が火事になることは現実にありえるので、決して妄想ではないのだが、そういう可能性は忘れなければならない。スシロー問題にしても、ひとびとがヒステリーを起こしているのは、他人がツバをつけるイタズラではなく、ごく自然に降り注ぐ飛沫への恐怖が根底にある。この3年で他人の飛沫がとても怖くなっている。そろそろ元の世界に戻すために飛沫に慣れましょうということだが、3年間の恐怖がフラッシュバックすることもあるだろう。他人が細菌兵器に見えてしまう。それを具現化したのが岐阜県の高校生なのだろうが、人類が誕生してからずっと飛沫を交換してきた、そして飛沫を止められないから3年間コロナで苦労した、それにどうやって折り合いをつけるか、なのである。







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