2023.08.06
コロナのときの葬儀屋の対応について裁判
2023年8月6日読売新聞。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230806-OYT1T50114/
2022年8月に85歳女性がコロナ陽性で死亡したという。こうやって、家族が死んだときに、その「悔い」を他罰的に吐き出す人がよくいるわけである。あの病院の治療が悪かった、とか、葬儀屋の対応が不愉快だった、とかそんなことである。だいたい、死んだときに「悔い」しか残らないのはそれまでのこと。おそらく普段から愚痴愚痴した性格なのだろうと思われる。こうやってコロナが明けてから振り返ると、なぜあそこまでピリピリしていたのか、と思うことは可能だが、あくまで当時の状況からすると、過剰な自粛が起こってしまっても仕方あるまい。葬儀屋も大変だっただろうに、この原告は、そちらへの思いやりはないようである。少なくとも、わたしの意見としては、この件について、葬儀屋が負い目を負う必要はない。85歳で死んで悔いしか残らないのでは困る。そもそも高齢者を守るためにコロナという感染症に対して過剰な自粛をしていたわけである。感染して死んでしまったから過剰な自粛は無駄だったという発想だとしたら辟易とする。(つまり生き残った老人からすると、度が過ぎた自粛もよかったという考えもあるだろう)。ただひたすら高齢者が重荷であることを憂うし、人生への後悔を先延ばしにするための延命にお付き合いしていたのもあるだろう。コロナを生き延びた高齢者が、ではこのあとどうなるのか、と考えても、それは未練だらけの人生の先延ばしかもしれない。おそらくこの件は原告側が敗訴すると思うのだが、万が一に勝訴したとしても、愚痴愚痴した他罰的性格は変わるまい。コロナで人が死んだ時、葬儀屋も大変だったろうし、そちらへの思いやりも持ちたいものである。裁判を起こすのも権利と言えば権利だが、裁判を起こされること自体が負担という現実もあり、やはり、原告は他罰的な性格という印象しかない。おそらく普段から他人をなじったりしているのではないか。葬儀屋も災難である。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230806-OYT1T50114/
新型コロナウイルス感染後に亡くなった女性(当時85歳)が火葬される際、「顔を見せてほしい」と求めたにもかかわらず、検討されずに拒まれたとして、遺族側が火葬した福岡県筑紫野市の筑紫農協に慰謝料など約180万円の損害賠償を求め、福岡地裁に提訴したことがわかった。コロナ感染者の葬儀を巡っては、トラブルが相次いでいるが、葬儀業者側の責任を問う訴訟は珍しい。提訴は3日付。
訴えているのは、女性の夫(81)ら遺族4人。訴状などによると、女性は昨年8月、コロナ陽性が判明した5日後に老衰で死亡。入院先で納体袋に収容された遺体はひつぎに納められ、火葬場に運ばれた。夫は業者に妻の顔を見せてほしいと頼んだが断られ、即日火葬された。
国は当時、指針で飛沫(ひまつ)を出さない遺体からの感染リスクは低いとした上で、顔の部分が透明な納体袋の使用を推奨しており、遺族側は「顔を見ることができる可能性を検討せず、最後の別れという遺族にとって重要な権利を侵害した」と主張。夫は取材に「50年近く連れ添った妻との最後の時間を奪われた」と語った。筑紫農協は「訴状が届いておらず、コメントは控える」としている。
国民生活センターによると、コロナ感染者の葬儀を巡っては「消毒作業などで過剰な対応をされた」といった相談が2020年度以降、約330件寄せられている。
2022年8月に85歳女性がコロナ陽性で死亡したという。こうやって、家族が死んだときに、その「悔い」を他罰的に吐き出す人がよくいるわけである。あの病院の治療が悪かった、とか、葬儀屋の対応が不愉快だった、とかそんなことである。だいたい、死んだときに「悔い」しか残らないのはそれまでのこと。おそらく普段から愚痴愚痴した性格なのだろうと思われる。こうやってコロナが明けてから振り返ると、なぜあそこまでピリピリしていたのか、と思うことは可能だが、あくまで当時の状況からすると、過剰な自粛が起こってしまっても仕方あるまい。葬儀屋も大変だっただろうに、この原告は、そちらへの思いやりはないようである。少なくとも、わたしの意見としては、この件について、葬儀屋が負い目を負う必要はない。85歳で死んで悔いしか残らないのでは困る。そもそも高齢者を守るためにコロナという感染症に対して過剰な自粛をしていたわけである。感染して死んでしまったから過剰な自粛は無駄だったという発想だとしたら辟易とする。(つまり生き残った老人からすると、度が過ぎた自粛もよかったという考えもあるだろう)。ただひたすら高齢者が重荷であることを憂うし、人生への後悔を先延ばしにするための延命にお付き合いしていたのもあるだろう。コロナを生き延びた高齢者が、ではこのあとどうなるのか、と考えても、それは未練だらけの人生の先延ばしかもしれない。おそらくこの件は原告側が敗訴すると思うのだが、万が一に勝訴したとしても、愚痴愚痴した他罰的性格は変わるまい。コロナで人が死んだ時、葬儀屋も大変だったろうし、そちらへの思いやりも持ちたいものである。裁判を起こすのも権利と言えば権利だが、裁判を起こされること自体が負担という現実もあり、やはり、原告は他罰的な性格という印象しかない。おそらく普段から他人をなじったりしているのではないか。葬儀屋も災難である。
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