自殺しようとしている人を助けたとして、その救出活動自体は快楽だが、では、その助けられた人の今後の人生まで考えると、気が重い、もしくは助けても無意味ということがある。もちろん、飛び降り自殺寸前の人を食い止めたとして、その後の人生まで面倒を見る必要はないだろうから、助けてはいけないこともないし、見過ごしたらそれはそれでまずいだろうが、食い止めてどうなるという話もある。あるいは、自殺自殺と言いながらなかなか死なない人もいるし、いわゆる境界性人格障害というか、命がけのお芝居に付き合わされるので、最初から関わらない方がいい、というのもあるだろう。助ければ終幕というのではなく、むしろ苦痛の幕開けなのだから、そこを考えて、巻き込まれないように気をつけるということである。つまり、われわれが無慈悲なのは、心の底から無慈悲であるだけでなく、助けても仕方ない、一時的に助けてもそこでは終わらない、という実情がある。あるいは、犬猫の保護活動が大変という変な話を聞くが、おそらく保護が終わったあとが大変なだけで、保護自体は明らかに快楽である。病気の野良猫がいるとして、これを助けるのは明らかに快楽である。問題なのは、病気が治って普通の猫になったとして、そこから終生飼育する大変さである。保護が快楽だから次から次へと保護しているとケージが満杯になってしまう。金銭的にも苦しくなる。覚醒剤依存症みたいなものである。世間の多くの人が野良猫を助けないのは、助けたくないのではなく、一時の快楽に身を委ねて助けたとして、その後に飼うのが大変だからである。どこが快楽でどこが苦痛なのか、そこは踏まえなければならない。病気の野良猫を一時的に助けて、病気が治ったら元の場所に戻す、という方法もなくはないが、猫を拾って捨てているだけ、という懸念はあるだろう。衰弱した子猫を拾って、元気になるまで育てて、一人前になったらまた野に放す、というのは、端から見れば捨てているだけである。







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