遺族がメディアに登場して厳罰化を求めることが繰り返される。この手の問題の根幹にあるのは刑罰が「軽い」ことである。われわれはこの不思議さを不思議に思い、首をひねりながら生きているわけだ。いじめる側がスクールカースト上位で、いじめられている側が転校させられるのと同じかもしれない。加害者は強者であり、被害者は弱者である。悪い人間は主役だから抹消されない。消えるのは被害者の方である。子どもの学校のいじめっ子と、大人の刑務所の囚人が重なるかといえば、完全な等号で結べはしないだろうが、濃淡はあれど、悪人は強者という側面が世の中にある。われわれが悪人に慄いているのは、子ども時代の原体験なのかもしれない。悪人を殺処分したくてもそれはできないのだが、時たま、社会的なヒステリーとして、それが行われるのである。いじめられっ子が殴られるのは日常であるが、いじめっ子を殴るのはタブーであるから、王様をギロチンにかけるような非日常である。普段の刑罰は、「ほどほど」に抑えられているので軽いわけだが、やはり「ほどほど」という刑罰観への不満があり、どちらが正しいのか知らないが、悪人を殺処分する狂乱が生まれるのである。普段だと、善人は弱々しく簡単に譲歩する気質なのに対して、悪人は鉄壁なので、それが強さなのだが、その鉄の壁を貫こうとするのである。考えてみると、弱々しい善人であれば、刑務所に行くくらいなら死刑にしてくれと思うだろう。「刑務所生活が嫌なので安楽死でお願いします」くらいのことは言いそうである。なぜ犯罪者があれほどまでに死刑を怖がるのか、とても不思議ではある。悪人は強いので、死んだほうが楽という発想がないのかもしれない。死刑とはそういう悪人の不死身さに対する鉄槌なのである。







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