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2017.10.07

不倫と家族愛

川島海荷の不倫が純然たる愛なのか、お偉いさんに夜伽する娼妓のようなものなのかわからないが、わたしはただ不倫について語りたいのだから、芸能界の特殊慣行まで揣摩する必要はあるまいし、ひとまず素朴な愛であると見なしておこう。あるいは川島海荷だと事例として曖昧であるなら、例えばベッキーや矢口真里は一欠片もメリットがない相手と破滅的な不倫をしたのである。燎原の火のごとく躰の末梢神経から脳髄まで熱病のように焼き尽くすのであれば、愛としてニセモノではあるまい。つまるところ家族愛というのは人生設計の契約であるし、大恋愛が火柱を上げて蒼天まで届いたら家族の誕生というわけではあるまい。あくまで財布の共有である。このところは特に核家族となっているから、個人の権利意識も強まっており、嫁が涙して終わりではないので、正妻としての利権を高らかに叫ぶしかない。核家族というカプセルでわれわれは分断されており、親子連れに注意したら長期拘留された大学教授もいたし、高卒の警官とか無教養な母親が不審者いねえかと松明に火を灯して凶相を浮かべ百鬼夜行するまがまがしさは、いったいどちらが不審者なのかという話だが、人間理性を破壊するべく水銀が垂れ流されてるのであろうし、われわれも痙攣しながら這々の体でベビーカーから逃げまどうのである。あの核家族が垂れ流している害毒からすれば、不倫の愛の方がむしろ純粋であり、人倫として曲がってないという印象すらある。核家族という大正義。これは決して愛ではないのだし、かなり打算的な人生のパートナー契約である。もはやここまで来ると、核家族すら解体し、経済を共有するパートナーがいなくなり、ただひとりの個人として、誰とも財布を共有せず、それぞれが経済の主体になればいいと言いたくなるが、生まれてきた赤ん坊がポストに投げ捨てられ、それを税金で育てて最高の教育を与えるとなれば箍の外れたモラルハザードが予想されるし、やはり家族愛の物語に基づいて親の責任でやってもらうしかないのである。嬰児にも自然人として権利能力はあり財産は持てるが、現実には親が法定代理人として制御しなければならない。家族愛というのがわれわれの魂を錆びさせる鉄の鎖だからこそ、大過無き人生設計のために妥協した有象無象の善男善女が、禁断の快楽に手を伸ばした咎人を鞭打つのであろう。不倫などなければ、家族愛という嘘を平気で吐きながら生きていけるのに、不倫という本物の愛が家族愛というフィクションを打毀し、家族という役割の仮面を壊死させて、人間は愛されてないという明々白々たる素顔を露わにするのだから、これは悪魔が人間を蝕む悪疫であり、嘘に耐えられないわれわれに真実を教える悪趣味である。
アロマオイルのように効果を厳密に証明できないものはだいたい創価学会と同じジャンルとして扱われるようだが、信じる者は救われるという言い伝えもあるし、生きてるのか死んでるのか知らんが池田大作先生を信仰することで薔薇色の人生を送っているひとだっている。わたしはアロマの版図を拡大させようという布教の熱情もないから、流行らなくても差し支えないし、アロマが世界地図から消えたとしても何ら痛痒がない。だから創価学会のように強引な折伏をするわけでもなく、いわば革命戦線の途次における箸休めというか、星辰の瞬きから遠い暗渠において、筆遊びとして灰色の紙片に稿を起こすだけである。アロマについて、何と言っても強調したいのが風邪の予防である。わたしはアロマを導入してから風邪を引かなくなった。実用性がないオサレなアイテムだという謬見を持っていたが、実際は実用性の固まりである。喉が痛い、鼻水が出るという初期症状にルルは効いてなかったが、アロマを吸うと明らかに菌を消毒してくれるし、予防効果が凄まじい。アロマにはいろいろと種類があるが、風邪の予防としては殺菌効果があるユーカリ、ティーツリー、レモンなどが代表的である。おそらくティーツリーが最もいいと思われるが、わたしはユーカリを好んでいる。気軽に試すには、瓶に木の棒が挿してあるタイプのが簡単かもしれないが、継続的に使うのであれは精油の原液を買ったほうがいい。アロマの瓶になぜ木の棒(リードスティック)が挿してあるかというと、精油は揮発性があるが、そのままだとなかなか蒸発しないので、木に染み込ませて蒸発を加速させているのである。このタイプの安物は人工香料であることも多く、鼻が曲がるような匂いで悪酔いすることもあるから、あまりよくはない。おそらく一般的には加湿器タイプのものがお手軽であろうし、夏場は湿気が懸念されるが、それ以外の季節なら加湿タイプでいいだろう。小皿に精油を垂らす原始的な方法も、手元なら意外と香る。部屋全体を香しくするには不向きだが、自分だけが香りを嗅ぐには適している。あと、わたしは枕に精油を垂らして寝ているが、精油は刺激が強いので皮膚に付けるのはよくない。だからこの方法は一般人には推奨できない。ここまで「アロマ」という言葉と「精油」という言葉を混用しているが、アロマというのは香りという意味である。アロマというと人工香料も含むが、「精油」というのは植物から抽出した天然の原液のことである。精油の購入についてだが、「生活の木」が最も信頼性があるとされる。だが「生活の木」は価格が高いので無印良品が妥当であろう。アマゾンなどでは無印良品の三分の一くらいの価格のものもたくさん売られており、意外と悪くないのだが、やはり微妙に品質が劣るので、品質と価格のバランスからして無印良品が無難。開封して数ヶ月もすれば香りが薄れるから、少しずつ使うことはできないが、せいぜい月額数千円で維持はできるし、役に立たない風邪薬よりはよほどコスパがいい。
わたしが佐藤日向に対して強い怒りを抱いたのは、「少女 歌劇 レヴュースタァライト」について、「当日券がある」という紛らわしいツイートをしたからであるし、実際は「当日券のための整理券配布」と抽選であったから、わざわざ渋谷まで行ったのが無駄足になったからである。
佐藤日向は自らを推してもらうために、自らのカラーの水色の服を着てくれとか、つまり、オタ向けの営業活動として「当日券がある」とやっていたわけだ。

なぜわたしだけが怒っているのかというと、真人間を装っているヲタは黙っているのであろうし、わたしは佐藤日向に興味がないからであろう。
わたしは今まで佐藤日向のツイッターをフォローしたことさえないし、たまたまRoseliaの姉ちゃんが出ているから、今回の演劇を見てみようと思っただけである。
普段は佐藤日向のツイートなんぞ見てないのだが、たまたまRoselia繋がりでチェックしたのである。

さて、このタイプの利口で素直な人間に時たま激しい怒りを持つことがある。
たとえば道を譲らないとか些細な事でも、人から好かれそうなタイプの人間にそれをやられると、こちらが悪者にされる予感がMAXになるので、それが憎悪になるのである。
ゴロツキに攻撃されるのとはまた別の怒りである。
無個性で利口で見た目も好青年みたいなやつから無神経なことをされると、いかにも差別的な言動を受けたという強い印象を受ける。
喧嘩を売られたというよりは、貴族と賤民が当然のごとく決っているというナチュラルなカースト意識を感じるのである。

わたしが佐藤日向に全く関心がなかったことは前述したとおりだが、やはり利口で素直なタイプなので、人から好かれそうなところが嫌だというか、「こっちが悪者にされそう」という畏怖があり、敬遠していたのであろう。こうやって小さなトラブルが起こると、向こうが健全な貴族でこちらが狂った廃疾であるという前提について、天道是か非かという義憤があり、おそらく人間の根源的な劣等感の問題である。当日券の抽選があるのを「当日券がある」と記述するのは誤りだと思うのだが、どれだけ理屈を弁じ立てようが、賽の河原で小石を積むような徒爾にしかなるまいし、あくまで人間の貴賤で決着が付き、結論が綴じられてしまう。

人類全員が佐藤日向の味方をしそうだし、そういうナチュラルな貴族主義というか、逆に言えば、こちらがナチュラルで賤民というか、そういう理不尽さである。
当日券の問題で佐藤日向は釈明もしてないし、すっかりAKB商法でヲタを転がすことに馴染んだ様子だが、このままいろんな人に取り入りながらうまくやっていくのであろうし、時たま無神経な言動をしても声を荒げる人はいないし、御本人は大過なく生きていくわけである。
佐藤日向は人から好かれやすい人物であるにも関わらず人気はないが、おそらくこれも人間社会における典型的な事例なのである。
「人から好かれやすそう」という特権的な貴族が世の中には一定数いて、果たして本当に好かれているのかというとそうでもないし、好きだという自己判断の積み重ねというよりは、なんか「他人から好かれているだろう」という迂回した目線で見ているわけだが、これが人間社会なのであろうし致し方あるまい。
https://twitter.com/lp_announce/status/911431502486921221

sekininnourixyoku.png

本当に心神喪失している人は病気そのものが苦痛であるはずなので概して活動量が少ないし、ネットで大暴れしている輩のほとんどは有村悠さんのような快楽主義的人格障害者であるが、どうやら、本当に心神喪失の人から怪文書が直に届けられたようである。
この文面からは何も読み取れないが、いわゆる世界没落体験をしたのであろうし、その原因が有村悠さんということらしい。
われわれは寝ているときの夢で「コーラを飲むと癌が治る」とか「池田大作から攻撃されている」とか、そういう荒唐無稽な観念に取り憑かれるのだが、目が覚めているときにもその憑き物が落ちず、なおかつ直接的に訪問してくる人がいるのであれば、これは警察に相談するべき案件であろう。
普段からキチガイを演じている有村悠さんが警察に頼るのは恥ずかしい気もするが、どうせ生き恥だらけなのだし、どっちみち数え切れないからひとつやふたつ増えても差し支えあるまい。
親を尊敬するとか、教師を尊敬するとか、先輩を尊敬するとか、そういうのを定型的な訓示として述べて終わりにするのは、物事の深層まで洞察してないのだし、人間理解が足りないと言える。
温厚な親とか温厚な先輩なら、「尊敬します」と言っておけばそれまでだし、いわば儀礼で済むのである。
これが気性の激しい人間となると、そうはいかない。

つまり尊敬と一言で言っても、温厚な人と気性の激しい人では話が違う。
気性の激しい人間であれば絶対服従を求めるから、儀礼では済まない。
奴隷としての実践活動で尊敬を示す必要がある。

「尊敬に値する」とか「尊敬に値しない」というのは分別としてあまり適切ではない。
表面的な儀礼で済むか済まないかが大事なのである。
儀礼で済むのであれば、相手が誰であれ一定の敬意を払って然るべきだろう。

温厚さ、気性の激しさはある程度は先天的なものだが、本人の人生への態度でもある。はるかぜババアのような気性の激しい人間は生まれつきであるだろうが、それに加えて育ちの悪さとして、娘に絶対服従を求めるのである。あちこちで干戈を交えては、その累が娘に及ぶ仕組みなのである。娘を使って炎上を繰り返すことができるのは、やはり気性の激しさが突き抜けているのであり、これは自らの人生への憎しみであり、その深淵には底がない。

有村悠さんはディスプレイ破壊おじさんとして知られており気性も激しいのだが、どこかしらユーモラスな側面もある。高卒なのに朝から晩まで東大の話をしている最底辺の人間だが、はるかぜババアほどに突き抜けてないのは、やはり東大に合格した体験があるからであろう。虚無へ還るべく人生や世界という事実性の全てを焼き尽くし根絶やしにするとなると、東大合格という事実が消えてしまうのでまずいわけである。金持ち東大生から「おまえは高卒」とか「わたしは特別な人間だが、あなたは特別な人間ではありません」となじられて退学した怨みがあるとはいえ、人間最後のプライドが満たされているのである。有村さんが本質的にファッションメンヘラであり、通り魔のような気質を持ちながらも実行しないのは、どれだけ潰走を繰り返しても、やはり東大合格が金字塔として煌めいているのであろうし、もしこれがなかったら、箍の外れたルサンチマンの虜として、森羅万象のすべてを消去するために怪物化していただろう。

平凡で温厚な人はたくさんいる、というより、世の中の半分くらいの人はそうであるから、尊敬する美徳が安易に説かれるのであろう。
前述したように、相手が温厚な人間だと儀式で済むが、気性の激しい人間だとそうはいかない。

気性の激しさはプライドの問題とかなり深く関わっているので、まずはそこに着目する必要がある。
温厚な人間と気性の激しい人間を厳密に区別できるわけでもないが、それでも明確な違いはある。
社会的に成功しているにも関わらず、あたかも殺し合いのような勢いで他人に向かってくる激しさを持つ人間もいるし、いろいろとバリエーションはあるだろうが、こういう気質まで考えた上で「尊敬する」という行為を考えねばならない。
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