Category
自然な人の流れに抗って、ルール通りにやるのは思想犯罪者である。多くの人は、人とすれ違う時は自分の右側を空けようとしており、これは利き手の方を空けようという本能であろうが、左利きの人間だっているのだし、右利きだってその習性が強く根を張るわけではあるまい。あくまで人の流れを見た上での臨機応変である。この間も新宿駅の階段で、(普段は左側を歩く習性があるからわたしも違和感はあったのだが)進行方向の矢印がなかったので、上から降りてくる人が多いから臨機応変に手すりの右側の狭いところを登ったのである。登ったところに改札口があるのだが、朝のラッシュのときなら満員電車から一気に吐き出された雲霞の如き人の群れが改札口を通過するべく階段を埋め尽くすはずである。ラッシュでないと、改札口から降りてくる人間の方が多いこともあろう。ともかくラッシュの時間帯ではなかったので、改札口から降りてくる人の方がマジョリティとして広い方を使っていたから、わたしは狭い右側の階段を登った。そうしたら、鳩山由紀夫みたいな顔をした奴が階段の上に姿を現し、「まさかこっちに来ないだろうな」とわたしは相手の目を直視して牽制したのだが、案の定わたしの方に降りてきて、やむなくわたしが立ち止まって通してやると、すれ違いざまに「逆」と小声でつぶやいて過ぎ去っていった。その後になって、念のため、わたしはその周辺の矢印を探したのだがなかった。やはり階段の下から大量に人が迫り上がって来るのは朝のラッシュのときであろうし、それ以外だとどちらとも言えない。朝から晩まで歩き方を統一するのはナンセンスという判断だと思われる。「注意された」から逆ギレという事件がよくあるが、警察発表だと、注意した方が立派な人間だということになっている。こんなのは明らかな文飾である。何が何でも左側を歩けとか、そういう人種が他人を注意するのであり、災難である。わたしの事例で言えば、件の人物は「左側を歩く」ことだけに固執しており、ラッシュの時とそうでないときでは人の流れが違うことに気づいていない。というか、ただの嫌がらせである。ともかくそういうわけだから、注意した善人が悪人に殺されたというニュースがあっても、それは文飾であろうし、嫌がらせをしたら報復されたのが事実である。
これは何ら隠喩を含まない俗的な話なのだが、スマホやタブレットはひとつのアプリに占拠されてしまうことがある。典型的なのはゲームであり、特に「シムシティ ビルドイット (SIMCITY BUILDIT)」のように「ながらプレイ」でやるものはメリハリが無いので、ずっとタブレットの画面を占拠し続けることがある。廃人になるほど血道を上げるようなゲームではないが、十年一日の如く怠惰に堕する悪魔的なゲームである。シムシティをアンインストールすればいいというもっともな意見もあろうが、(架空の他者のツッコミを思い浮かべてそれに脳内反論するのは馬鹿げているが)シムシティだけの話ではないと思われるし、他のアプリでも似たようなことはあろう。さて、何が言いたいのかというと、本来であれば、他にメインのことをやりながら、箸休めのようにシムシティをやるべきなのだが、シムシティの方が主食になってしまう倒錯である。この倒錯を糺し正常化するためには「シムシティ専用端末」を用意することになる。シムシティビルドイットは安物の端末でも動作するようになっており、iPad Pro 12.9インチでプレーしても特別に壮観というわけではなく、スマホと大差ない。もちろん大きい端末のほうが操作はしやすいし、iPadの方が多少は見映えがいいが、プレイする気力を削がれるほどの差ではない。であるから、脇役化した古い端末をシムシティ専用にあてがうことになる。それによって主戦力たる端末が自由になる、というわけだが、ここからは余談、というより、語るべき主題もなく稿を起こしたので話が転々としていくのだが、わたしの場合、本来なら主力であるはずのiPad Pro 12.9インチがエレキギター演奏の専用端末になってしまっている。もちろんエレキギターを延々と演奏しているわけではないので、ギターを弾いてないときはiPadを普通に使えばよろしかろうというのもあるが、楽器演奏や楽曲製作なら断然iPadとしても、それ以外ならAndroidの方が自由度が高くていいというのがある。iPadはカスタマイズの自由度が低いので、Androidより確実に優れている音楽関係のアプリとか、そういうところに使い方が偏ってしまう。固定レイアウトの電子書籍、もしくは自炊して電子化した書籍などはiPad Pro 12.9インチはかなり優位性があるが、だが、ちゃんと電子書籍化されていて文字を拡大出来るなら小さいディスプレイの方が読みやすかったりする。それにiPad(iPhone)は出来損ないの有料アプリが悪疫のように広まっており、息をするだけで人頭税を取られる具合である。かつてのフリーソフト文化においては、乞食ユーザーが高圧的な要求をしてくるのが日常茶飯事であっただろうし、プログラムの作者はひとびとの我欲にさぞかし辟易としたであろうが、どうやらこのところプログラム作者の方が乞食になっており、出来損ないアプリは無論のこと、優秀な有料アプリがiOSのアップデートに対応せずに放置されているのが普通であるから、この匪賊の群れは無能のインチキだけの話でもない。グーグルが立派で徳操高いというわけではなく、本業が広告代理店だからであろうし、民衆の膏血を啜る手段が異なるだけであるが、iPadの得意分野ではiPadを使い、どちらでもよければAndroidの方がいい、というのがある。Androidで有料アプリだと、いわば由緒正しき血統書付きというイメージだが、iPad(iPhone)は素性の知れない雑魚アプリでも有料だし、優秀な有料アプリも放置されることがあり、地面師と似たりよったりの連中が集う魔窟である。なんにせよ、いろいろな意味で、複数の端末があったほうが使い勝手がいいのである。無論、10台あっても10人分の作業は出来ないが、端末が複数台あって余ってしまうことはあまりないのである。
よく年末が忙しいというが、これは締切間際に思いつくタイプの人間が結構いるからである。これは多動性の問題でもあるから個人差はあるが、人間は切羽詰まるとアイデアが浮かんでくる。その閃きが優れている人もたまにはいるのだが、優れた閃きでも人間のクズがたまたま天才という話であるから褒められたものではないし、ましてや、莫迦なのに思いつきだけは百人前というのがいるから困るわけである。あるいは、年末になってようやく重い腰を上げるのは一種の常識なのかもしれない。三井住友海上の保険の代理店の奴が事前連絡もせずにいきなり年末にやってきて12月末までに書かないといけないクソみたいな書類に記入させられたのだが、それはもっと前に持ってきて然るべきものであった。これなどは莫迦というよりは、社会的な図々しさなのであろう。わたしはすでに加入しているわけだから前触れもなく飛び込み営業のような格好で来るのは理解しがたいが、たぶん他人の都合を乱して不興を買うのを厭わないのがそいつのやり方なのだろうし、塵芥のような有象無象に数撃てば当たるという営業のメンタリティなのだろうと思われる。当然ながら、12月だから普段より早めにと気を遣う徳操高き人もいるであろう。延々と放置していて年の瀬ギリギリにやってくるのは発達障害者か、もしくは図太いコミュ強か、ともかくろくなのがいない。誰もが駆け込み乗車をしたら将棋倒しで死亡者が出るに決まっているし、あらかじめ乗車している人が多いのであるが、しかし、駆け込み乗車の慌ただしさこそが人間なのかもしれないし、秩序が逸脱を作り出し、逸脱が秩序を作り出すというか、そもそも急いでないのに駆け込み乗車をしてしまうこともあるし、発車間際の風物詩として欠かせない気もする。死は平等であるが、死生観がひとによって異なるような具合である。重力のように抗えないはずの死や時間に対する考え方がひとによって異なる機微は、それぞれの顔立ちが違うように必要なのであろう。遅刻魔がいてこそ、時間というものの輪郭が浮かび上がるとも言える。とはいえ、迷惑行為であることに疑いはなく、11月にやればいいものを12月28日に言い出す面倒な輩とか、年明けで充分と思われることをなぜか切羽詰ったように12月28日に勇み足で実行して他人を煩わせるなど、切迫した慌ただしさで本性が照らし出されるのである。
Apple Pencilについて思うところを縷々と書き綴る。新型iPadに合わせて新製品(第二世代)が発売されたようで、あれこれ改善もされたようだが、アップルが新製品を出すたびに買うわけにはいかないので、あくまで旧製品について書いている。そもそも製品レビューではないし、Apple Pencilそのものについての雑考である。さて、このところフリクションボールという凶器が蔓延しているが、消えるボールペンという紛らわしさ、たとえば重要文書の改竄の恐れだけでなく、あれは推敲を否定しているから使うべきではない。原稿用紙の余白に言葉を補った経験のある世代にとって、ただ書き損じを直すだけのフリクションボールは笑止千万である。ちゃんと推敲して文章そのものを直せ、ということである。朱筆を入れる替わりに元の文字を消して書き直すことが、文明の進歩とは思えない。Apple Pencilだと書き直しが当たり前であるから、「改竄」について懸念する必要はないし、そもそも大幅な推敲ができる点でフリクションボールとは話が違う。アプリにもよるが、たとえばOneNoteでも、Apple Pencilで書いた文字を移動させたり、もしくはすでに文字が書かれている箇所に空白を挿入して、そこに書き足すこともできる。文章の一部を削除して空白が生じたら、その空白も詰めることができる。つまり余白が伸縮自在で、加筆修正できるのだ。推敲したいならテキスト入力でやればいいという話もあるだろうし、Apple Pencilで手書きするとなると、つまり画像データのようなものだから容量も大きいので、何百ページもある長文なら素のテキストのほうが適しているのは言うまでもないが、手書きに回帰しておかないと文字を忘れる一方であるし、ともかく推敲を加えた綺麗な手書きノートを作りたいなら、Apple Pencilである。デジタルで手書きするマイナス点として、他人に画面を触らせたくない、もしくは相手にそのような気を遣わせることである。Apple Pencilの使い方の模範映像などを見ると、美男美女が和気藹々とiPadの画面を囲んでなぞったりしているが、やはりタブレットやスマホの画面を他人に触られたくないという心理は誰にでもある。所詮は雑菌まみれであるが、自らの手の雑菌と他人の手の雑菌は違うというのが人間の衛生観念である。この衛生観念は虚妄とも言えるし、電車の吊り革に触れないのは強迫性障害(つまり観念の歪み)とされるわけだが、自ら馴染んでいる雑菌と他人の雑菌の違いと言えばいいのか、言語に絶する不潔な人間もいるであろうし、虚妄のように思えて虚妄ではないこともあろう。やはり他人の前にiPadを出して、そこに書き込みながら説明したりするのは、相手も遠慮するであろうし、向こうがiPadを取り出したとしても、やはりそれにベタベタ触るのはまずい。そこらの紙に殴り書きしているなら、気軽に触れるし、話のやり取りをするには安っぽい紙のほうがいいということになる。プライバシーとして自分のスマホやタブレットを他人に見せたくない感情については言うまでもない。さて、Apple Pencil的なものの今後を考えると、PDFの不自由さはいつになったら克服されるのか、ということである。PDFに自分の手書きで注釈をつけたりできるのがApple Pencilの面白さのひとつだが、やはりPDFそのものが不自由なので、意外と使い所がない。パソコンでPDFを抽出して並び替えたりする手間のほうがとても億劫である。そもそもPDFを編集するとなれば、それなりに高価なソフトが必要、もしくはたまたまパソコンにソフトがバンドルされているか、ということになる。電子上の「紙」の代表格がPDFである限り、タブレットに手書きというのは、その可能性の一部しか開き示せないのである。現状では普通の紙に油性ボールペンで書くのが望ましいという結論にもなってしまうが、手書きして推敲するのが人間知性の基本であり、フリクションボールは書き損じを訂正するだけだから反知性主義者のツールである。
2018.10.31

Office 365 solo

「クラウドの衝撃」(城田真琴著)を再読したのだが、2009年出版のわりには内容が古くない。今からこの本を読んでも新鮮味はないので必読書ではないが、きちんと書かれている良書である。中央に鎮座する巨大なメインフレームに睥睨されながら味気ないダム端末で打ち込んでいた時代から、パソコンの時代に移り、そこから、何かしらメインフレーム時代への回帰のようにしてクラウドの時代が到来した。われわれはスマホやタブレットからデータセンターに問いかけ答えを返して貰っている。

クラウドコンピューティングについて語るのはわたしの手に余るので、ここではオンラインストレージとしてのクラウドの話だけにしよう。
わたしが契約しているOffice 365 soloについて書こうと思う。

マイクロソフトオフィスはいろいろあって分かりづらい。

Microsoft Office Professional
Microsoft Office Personal
Microsoft Office Home and Business

これらはいわゆる永続版だが、要するにアップデートされないので寿命はある。
あと、プリインストール版(Premium)とパッケージ版の違いがあるが面倒なので説明を省く。

さて、Microsoft Office 365 Soloだが、これは一年ごとの契約である。
だいたい年額一万二千円である。
素晴らしいのは、OneDriveが1TB付いてくることである。
わたしはほぼこれのために課金している。
おまけとして、Word、Excel、PowerPoint、Outlook、OneNote、Publisher、Accessの最新版が常に提供される。
2台のWindows PCまたはMacと2台のタブレット(iPad、Android、Windows)、2台のスマートフォン、合計6台で利用可能である。これについてはルールが変化したかもしれないが、どちらにせよ、余程のことがない限り手持ちの端末すべてで使える。

クラウドは、要するに自分でハードを買うのではなく、回線の費用を負担するということであるから夢物語ではない。
回線に依存するのだから、通信環境次第では同期がうまくいかなかったりする。
速い回線を使っていても、みなさんWi-Fiを使っているご時世だから、都会はWi-Fiの電波で溢れかえっており、おとなりさんの電波と干渉してうまく繋がらないことがある。
先日、そういう回線の問題で同期がうまくいかないことがあり、端末のフォルダの同期を解除したら、なぜか、そのフォルダが根本的に消えてしまうという出来事があった。当然ながら、他の端末にも同期されて、鈴なりのように虚無の世界が広がった。
幸いながら、こういう削除を行っても、OneDriveのサーバーのゴミ箱にデータが移動する仕組みなので、ゴミ箱から復帰させただけで済んだ。
とはいえ、同期の不具合の怖さを体験したわけで、ゴミ箱というセーフティーネットがあるとしても、やはり懸念を絶無にすることはできない。
であるから、オンラインストレージこそが至高というわけではないし、たとえばサイズが大きい動画を保存するのであれば、外付けハードディスクかMicroSDの方が適しているかもしれない。
あと、WordやExcelが衰退する可能性についてであるが、SNSで繋がってない相手にはメールという貧弱なサービスを使わねばならず、PDFの扱いづらさ、もしくはファイルサイズが大きいものをメールに添付出来ないという問題があり、他人に見せるためにはプリントアウトするしかないこともある。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング