有村悠さんがいつもの金欠に入り始めたらしい。印刷代の前借りをしているようである。同人誌でそこそこ利益はあるはずだが、赤字を承知で地方のイベントに遠征したり、川崎から近場の秋葉原でさえワシントンホテルに泊まったり、艦これに100万円を超える課金をしたり、数多の無軌道な奢侈が彼を行き詰まらせたと思われる。

このような不行跡を断ち切るために、強制的に貯金させるという対処療法はあるとしても、その強制力のために後見開始の審判まで行くのは容易ではない。

金銭感覚の話だけではなく、世界認識の在り方が問われている。有村悠さんの金遣いの荒さは、あたかも手足のない人間が電動車椅子であちこちに突撃していくような生き方である。バリアフリーでどこまでも辿り着けるという全能感ではなく、自らの手足で世界を認識し、事理弁識能力を獲得しなければならない。

空間的に別の場所は不可知とも言えるし、未来も不可知ではあるのだが、空間には地図があり、時間についてもだいたい妥当な経験則があり、予想は可能である。世界は決してバリアフリーではないので、空間認識と時間認識をきちんとした上で人生を操舵しなければならない。

われわれの地理認識はかなり拙いものである。さすがに最寄り駅への道や生活圏の土地勘はあるけれども、そこから少し外れたら地図を参照してやり繰りしている。自宅から5キロくらいの近場でも、たまたまほとんど行かない場所があったりするし、そこでは迷う。フランスに行ったことがなくても場所を知ったつもりになっているし、其の程度のかなり端折られたものなのである。決して細密画のような空間認識はしていない。

時間についてもかなり拙いはずであり、そもそも時間は現在しかないので、過去の記憶と未来の想像を直線的に繋いで見当識を生成しているに過ぎない。過去も未来も判然としないものである。それでもやはり、生活に必要であれば、たいていの人はスケジュール通りに回転している世界に合わせて、時間と空間の平仄を合わせ、適切に存在していくのである。時間と空間は幻想のようであるが、人間にとっては絶対的な真実である。時間と空間は絶対的なバリアである。この真実から目を背けてバリアフリーな言動をしていると、人生の破綻が待っている。人生が破綻したらどうしたという話もあるし、どれだけ立身栄達を遂げて勲章をぶら下げようと誰しも荼毘に付されて無に還るのだが、この文脈ではそこまで思考を虚無に這わせる必要はあるまい。人生には計画性が必要である。

東京大学に合格したことがある有村悠さんが、このような障がい者同然の人生を送っているのは憂うべきことである。嘘がバレても平気で活動を続けている連中をネットで散見するわけだが、有村悠さんの破滅的な散財は、そういう後からバレる嘘に似ていて、実は破滅というのではなく、箍が外れた図太い神経に根差した故意であるようにも思える。疫学的に見れば、だいたい母子家庭育ちはこんなものという気もするし、外に女を作って出ていった父親はかなり浪費癖があったようだし、ママンは料理をしない人である。世界認識の弱さと育ちの悪さが相俟って病膏肓に入るという印象だが、いずれこのあたりは自伝小説で綴られるのであろう。
岡目八目という言葉がある。

たとえば昼飯のためにラーメン屋に行ったとする。
すごい行列が出来ていて、その後に用事があるとしたら、ラーメンを断念して、カレーでも何でもいいと思うのが普通だが、本人のこだわりとして、後の用事に差し障りがあってもラーメン屋の行列に並ぶということだってある。
端から見ていたら、ラーメンに固執する合理性がわからないし、カレーでもいいと思うわけである。

この喩えでは、ラーメンとカレーにヒエラルキーがないという前提で話しているわけだ。
これが岡目八目なのである。

「カレーでいいだろ」という岡目八目な意見が誤謬である可能性もある。
好き嫌いがあるからこそ人間なのだと言えるし、ラーメンにこだわるべき合理性があるかもしれないのだ。
第三者が見ると、当人の好き嫌いを無視して「どちらでもいい」とか、「こっちの方が正解だろ」と決めつけてしまうのだが、その合理性に適応できないのが人間でもある。

どうもRoseliaを見ていて懸念されるのは、ギターの姉ちゃんだけ、この歴史的なユニットに価値を感じてなさそうなことである。
ギターの姉ちゃんは、元がトップコート所属のセブーンティーンモデルだが、おそらく身長150センチないと思うので、それが原因で解雇されているはずなのである。
調査したわけではないので想像でしかないが、ごく普通に見てモデルをやる身長ではなかろうと思うだけである。

オジー・オズボーンとセブンティーンモデルのどちらが凄いのかと言ったら、オジー・オズボーンに決まっているのだが、これは好き嫌いの問題でもあるから、本人のこだわりも重要である。
われわれが端から見て岡目八目でとやかく言っても仕方がないのであろう。


Roseliaはブシロードが手がけているバンドリ!というアニメの中のユニットであるが、木谷社長がずいぶん熱心にやっている企画であるらしい。また、声優が実際に演奏することに強いこだわりがあるという。声優のチョイスについては、楽器を演奏できることが最優先であるという。つまりアニメ作品を成功させることはもちろんだが、そこから派生する声優ユニットを本格的にやりたいらしいのだ。声優ユニットはおまけではなく、むしろそちらをやりたいらしいのである。おそらく木谷社長が人選にも関わっている。

バンドリ!自体はアニメとして成功しておらず、スマホのゲームの方はiPhoneだと40位くらいで、これもなんとも言えないのだが、まだまだ諦めている様子はない。

Roseliaのボーカルの姉ちゃんが中元すず香のコスプレをして露骨に喧嘩を売って完全勝利した件についてだが、これはブシロードの木谷社長が了承したはずである。
木谷社長のこだわりが、アニメそのものよりは、そこから派生していく声優ユニットにあることは前述した。
とにかくRoseliaがBABYMETALに勝つことが重要なのである。
楽曲制作をしたのは上松範康だが、アニメと連動したユニットで、作品世界をぶち壊しにしてまで中元に喧嘩を売るなんて、上松範康が独断でやるわけがない。
やはり、上松範康と木谷社長が意気投合して、こういう悪ノリが発生したのであろうし、実際にRoseliaは中元すず香を打ち砕いてみせた。
Roseliaは東京ドームまで行くだろうし、BABYMETALはもう無理っぽいから、勝負は決したのである。

ブシロードの木谷社長が新日本プロレスに金を出して立て直したのはよく知られるが、よほどプロレスが好きなのであろうし、Roseliaのボーカルの姉ちゃんが女子プロレスラーであるのも、木谷社長が人選しているからであろう。
また人生に挫折した経験のあるおばさんを露骨に選んでいるのも、やはり木谷社長の人選であると思われる。
優秀な人間を集めてBABYMETALに勝とうとするのではなく、あえて出来損ないを集めた。
これはプロレス好きの感覚なのであろう。

そもそも作品の中でRoseliaのボーカルが孤高の美少女であるのに、実際の姉ちゃんはオジー・オズボーンの再来というようなロックスターであるから、作品に忠実であるなら人選を間違えているが、しかし本当にBABYMETALを捩じ伏せてみせたのだから、実演の部分にこだわりを持った木谷社長の狙いは当たったといえる。
木谷高明は雇われ社長ではないので、ブシロードとしてやりたいと思ったら何でもできるのである。
これまでの音楽業界で、BABYMETALを仮想敵にするユニットが登場しなかったのも、本当の無一文や無能では出来ないし、能力や資金がある大企業の雇われ社長にそんな馬鹿は出来ないということもあった。
たまたまブシロードはそれができる立場なのである。
このバンドリという企画が今ひとつであることを考えると、もう作品どうこうではなく、Roseliaという歴史的なユニットを全力で売り出していくと思われる、もしくはバンドリという作品を立て直すなら、実在するRoseliaに活躍してもらうしかないであろう。

中元すず香は広告代理店を集めて話し合っているのかもしれないが、ブシロードは広告を出しまくることでウザいとよく言われるから、広告代理店も攻撃できない。
アミューズ全体としては、ブシロードより広告を出しているかもしれないが、(ベビメタが広告を出さないのに、アミューズの他のアーティストの広告出稿量に頼っているのも欺瞞のひとつだが)、何にせよ、広告代理店がブシロードに嫌がらせすることはない。
ともかく音楽的にRoseliaが完全勝利したのは明らかだし、この三年くらい、中元すず香さんはゴミみたいな作品しか提供されてない。
海外人気という間接情報で他人に劣等感を持たせるやり方に我慢の限界という音楽関係者がたくさんいたからこそ、水樹奈々の楽曲制作者に直接対決で打たれたのである。
情報のBABYMETAL、音楽のRoseliaということだが、Roseliaの大傑作を見てしまった後では、この中元というドブスが何をやりたくてこの世に生まれてきたのかとても疑問である。
おそらくわれわれは、尊敬されたいという感情はたいして持ってないのである。
他人から侮辱されたら激しい怒りを抱くが、尊敬されたいという感情はそんなに強くない。
何が言いたいかというと、実は尊敬されたいのではなく、侮辱されたくないから、そのために、尊敬されておくと手っ取り早いというだけなのである。

侮辱されてから怒っても遅いので、われわれは先制攻撃として他人を威嚇したり、偉そうにしたり、あるいは一目置かれるような人間になろうとしている。
尊敬されたいという気持ちもあるだろうけど、侮辱への激しい怒りに比べたら、ささやかなものである。

こうやって考えると、人間の実態がなぜこうなのか、だいたい理解できる。
「侮辱されたくない」と「尊敬されたい」を明確に区別するとしたら、侮辱されたくないのが人間の根源的な欲求であり、尊敬されたいというのは付録である。

侮辱には実害があり、誰かから馬鹿にされると、同調者が次々と現れる。
端的にはいじめというものである。
リンチで死んだり後遺症を負うことだってないとは言えない。
だから、ありもしない幻想を恐れているのではないし、明白な実害を避けたい感情である。

尊敬と侮辱は対概念であるという前提で筆を進めてきたが、これも判然としないし、実はあまり関係がないかもしれないのである。
侮辱への恐怖が巨大な問題であり、尊敬という概念が付け足しのように出てきているだけである。

「怖がられる」のが尊敬されるのとほとんど同じであるのも、そういうことだろう。
侮辱されない状態として同一だからである。
怖がられるなら満足なのである。
キモオタに対して「あいつは怖い」と煽ったりする場合もあるが、山口組や稲川会の組員に対してそんなことは決してやらない。
本気で怖がるのは尊敬である。
ヤクザを怖がるのと天皇を崇拝するのはまったく違うように見えて、畏怖という点では同じである。
なぜ同じなのかというと、ここまで述べてきたように、われわれは侮辱を非常に恐れており、尊敬はさして望んでないからである。
侮辱されない保証があるなら、尊敬されなくてもまったく困らない。
中元すず香は作曲家から見放されたという感じが強い。
室伏広治と同等のフィジカルエリートであるとしても、ただの音痴なので、中元に歌ってほしいという作曲家がいないのである。
水野由結ちゃんは人類全体のローマ法王のような人物であるし、水野由結ちゃんが健在であった頃はキラーチューンだらけだったが、水野由結ちゃんにガムテープが貼られてから、作曲家が一気に手を引いて愚作だらけになっている。

上松範康という天才作曲家が、自らの最高傑作をRoseliaに提供したので、BABYMETALは完全敗北した。
これについては前回のエントリーで長々と書いたから、ここでは筆を省くが、上松範康は水樹奈々の代表曲の多くを手がけているから、カラオケ印税だけで年収何億円もあるわけである。
腐るほど金がある人間なので、「熱色スターマイン」という生涯最高傑作は出し惜しみしていたと思うのである。

・中元すず香のコスプレをする
・中元すず香のストロングポイントであるパワーで喧嘩を売る
・「頂点へ!狂い咲け!」という決め台詞を叫ぶ

こういう馬鹿な企画は、少なからずの人が考えたのであろうが、誰も引き受けないし、実行もされなかった。
空想はしても実行はしない。

空想と現実は似通っているが、やはり本当に実行してしまう人間を見ると、やはり歴然たる違いがある。
普段は区別がつかないが、たとえばオジー・オズボーンやドナルド・トランプのような本当の革命家が現れるときにその違いが分かるのである。

Roseliaが人生に失敗した出来損ないの集まりであるのも、中元に喧嘩を売るという馬鹿な企画は誰もが断るからであろう。
誰もやりたくない企画だから、本当に馬鹿な人間だけが集まったのである。

上松範康という天才が生涯最高傑作を投下してくれるという条件であれば、何千万人も応募者はいただろうが、そんな保証はないのだし、最初のシングルの段階では、上松範康も、彼にとっては朝飯前の楽曲しか出してないから、やはり、これに参加すること自体がすごい馬鹿なので、人生に失敗したおばさんの集まりになったのも納得である。

中元すず香はオジー・オズボーンになれなかったが、Roseliaのボーカルの姉ちゃんはオジー・オズボーンである。
オジー・オズボーンはロックスターの不在を嘆くが、やはり皆さん利口になったのである。
本物の馬鹿がいなくなった。
中元すず香に喧嘩を売ってパワーで対決するという愚行を実行する人間は、これまでまったくいなかったのである。
稀に見るフィジカルエリートではあるが、音痴であるから褒めるのも難しく、腫れ物扱いで、触らぬ神に祟りなしという枠であった。

「熱色スターマイン」は水樹奈々を想定して作曲されたという印象が強いし、この大傑作があれば、紅白に返り咲くことも出来ただろうが、今更そんなことをしてもおもしろくはない。
Roseliaの姉ちゃんが本物の馬鹿であり、オジー・オズボーンだからこそ、上松範康という天才作曲家が、最終大戦の決戦兵器として、水樹奈々ではなく、Roseliaに「熱色スターマイン」を授けたのである。

さて、ここからが本題だが、Roseliaのカップリング曲を作曲している藤永龍太郎は、まねきケチャの楽曲制作者なのである。
「きみわずらい」をはじめとするまねきケチャの楽曲の多くは彼が手がけている。

まねきケチャはずいぶんポテンシャルが高いのだが、権利関係の難しさというか、プロデューサーの古谷完は地下アイドルのおじさんとしてはずいぶんセンスがあるが、上まで行くノウハウは全くない。
まねきケチャにはユニバーサルミュージックも関わっているのだが、今のところユニバーサルが主導権を握れていないから運営が拙い。
ともかく、そのポテンシャルが高いまねきケチャの楽曲をやっている人がRoseliaのカップリング曲をやっているのである。

おそらく藤永龍太郎は、これからキラーチューンを思いついたらまねきケチャではなく、Roseliaの方に提供するであろう。
まねきケチャは松下玲緒奈と藤川千愛のポテンシャルはかなりあるし、プロデューサーの古谷完も面白みがあるのだが、それ以外の大人がクソであるし、ユニバーサルミュージックが主導権を握れる見込みもなさそうなので、そろそろ見捨てられるべき時期であろう。
このまま地下で終わる可能性が強まった。

しかし、まねきケチャが見捨てられるのはわかるが、中元すず香の立ち位置で作曲家から見放されているのは本当に凄いことである。
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