たとえばボケ老人が「あれが必要」と言ったとして、たいていは意味不明であるはずだ。ボケ老人には見当識がないので「あれ」として指し示す前提の世界を他人と共有してないからである。これがしっかりした人間同士であれば「あれが必要」で話が通じることが多いであろう。見当識を共有しているので、だいたいわかるわけである。物事をいちいち説明しないのも同様であり、見当識によって同じ世界を見てるから、説明は省いてもいいのである。ひとつの言葉で多数の人が同じ表象を浮かべるのでなければならない。細部まで逐一言葉にするとむしろ現象の輪郭をなぞれないこともあり、書き損じの片言隻句に引き摺られて現実が歪む。見当識とはなんぞやといえば、とりあえず地球人類が共通に持っている規格なのであろうし、宇宙人とはまったく異なるだろうから、宇宙のすべてで通用する真理ではないのだが、人間的真実としては確実にあるのである。その見当識がしっかりしている状態で「あれ」と言えばわかるし、もしくは「あれ」と言う必要さえないのだが、ボケ老人とか若年性痴呆とか発達障害者だとそれが不充分である。見当識を持つためには周囲の状況をよく見ている必要がある。ボケ老人とは対極の高い知能の持ち主が宇宙人と呼ばれることもある。そもそもなぜ四六時中他人を観察せねばならんのだという疑問もあるだろうし、そういう世渡り能力が疎んじられていた時代もあるが、第三次産業では周囲への視野の広さが必須であり、そこに重点が置かれるのは致し方あるまい。だいたい内面世界なる小宇宙は現実の残滓であり、この残飯は腐臭を放つ前に焼いて根絶やしにしなければならない。これをゴミ屋敷のように溜め込んでしまうのは、やはり地球世界の見当識が足りてないのだし、自閉圏を苗床として繁茂する厭わしい世界は結局のところ狭い視野で都合のいい現実を見た妄想なのだから、頭の中でバロンドールに輝いたりするよりは、自らの肉体周辺の状況を察するべきだろう。
インターネットの初期の頃は左翼が強かったというか、反権力的な印象であった。それがだんだんネトウヨと呼ばれる連中が権勢を振るうようになったのは、左翼自体が絶滅危惧種なのだから、人口比の自然な反映とも言えるが、そのような思想背景とはまったく別の話として、ひとびとは警察を嫌っているのに、誰かが逮捕されるのを喜ぶという問題がある。そして誰かが逮捕されると「次は自分だ」ではなくて「自分は助かった」と考えている。つまり誰かを晒し者にする見せしめ方式である。他人が手酷い笞刑で血塗れの背中を腫れ上がらせていたなら、そいつがスケープゴートになったのであろうし、自分は助かったと嬉しくなってしまうのがこの世の習い。本当に自分が助かったかどうかは確定してないはずだし、全員を皆殺しにするところまで権力がエスカレートすることもなくはないが、刑事罰について言うなら、一人残らず逮捕していたら、警察はまだしも、裁判官とか刑務所のキャパシティが限界となるから、そうそう片っ端から逮捕はできない。グレーゾーンの不行跡に手を染めていても、見せしめが行われた時点で手を引けば大丈夫という具合である。津田大介の手は真っ白なのだ。だから、われわれは過去の悪事で罪が問われる畏怖に震えることなく、誰かが逮捕されると安堵して喜ぶのである。東京地検特捜部などは以前は巨悪を捕まえていたのに、官僚の接待疑惑に踏み込んでから迷走した、いや、もちろん官僚を接待するのはよくないが、微罪であるのも確かなので、それを重くしようとして冤罪まで作り出すと、罪障が深いのは検察の方というオチになった。警察であれば微罪でも逮捕して、記者クラブで喧伝した上で容疑者をカメラの放列に晒し、有耶無耶に書類送検でもしておけばいいが、検察だとガチで罪が重くないとまずいというか、見せしめの上手いやり方がないので、最後まで徹底追求して、何も出なければ藤村新一の顰みに倣ったゴットハンドで捏造するしかないのである。ともかく、東京地検特捜部の暴走は厳罰を望む世論が背景にあったであろうし、法廷ではなく、逮捕や捜査過程で人間が晒し者にされ裁かれる問題でもある。ヤフコメに集まっている有象無象は、名刹を巡礼したり、景勝地で花鳥風月を愛でているのではなく、瘴気ただよう見世物小屋にたむろしてフリークスの登場を待っている俗衆という自覚を持つべきである。他人が罰せられたり落剥の身となる様子が愉しいのは事実だが、あくまで悪趣味なのだから正義を気取るべきではない、もしくは正義君の実態は処刑愛好家であり人倫に著しく反していることを、われわれも認識しなければならない。
有村悠さんはこのところスランプに陥っているようである。以前のように庵野秀明の後継者だとか、ステータスだけ求めている状態は脱して、エロ同人とは言え、最低限は需要があるものを制作して多少の利益を得るようになったし、執筆量が増えたので画力もマシになったのだが、艦これという市場の分母も縮小しているであろうし、今ひとつテンションが上がらないのかもしれない。有村悠さんは典型的なADHDだが、たとえばエジソンもそのタイプである。エジソンは不眠不休のハードワーカーであったから、有村悠さんとは対極であるが、やはり若い頃から成功したので、騎虎の勢いで様々な発明を生み出した。小学校を三ヶ月でやめているが、19世紀の話であるから挫折ではない。教養ある母親から読書を薦められ、そのうち自然科学に興味をもつようになった。ADHDを矯正されるよりは、熱中しやすい性格がプラスに回転していたのである。エジソンは発明そのものに没頭していたから、「庵野秀明の後継者」を自称するようなワナビーではなかったし、そこも有村悠さんとの大きな違いである。この点において、有村悠さんに多少の改善が見られつつあるのは前述した通りであるが、春画で糊口を凌いでいる限界なのか、創作にすべてを捧げるという無我の境地にまでは至っていない。エジソンは普通の人間とは違う独自の視点で物事を探究し続けて、その発明家としての功績については誰もが知るところだが、数学が出来なかったので判断を誤ることもあった。イギリスの産業革命も、だいたいは学のない人が勃興させたものである。職人的な発明でやる時代もあれば、机上の数学や物理学で解けば回答に辿り着ける時代もある。数値で表現できる物理現象については、机の上で計算したことがそのまま現実になるので、それなりに原始的発明が出揃って成熟してきた分野では机上でやればいいのだろう。エジソンは独自に物事を解こうとする自閉的気質があったのであろうし、まだ誰もやってないことについては、彼のアプローチがとても有効だった。この2018年現在においては、世の中にたくさんノウハウが蓄積されているので、それを学習して適応するか、もしくは数学で解いていくことになる。エジソンが今の世の中に生きていたら、社会的適応力がなく、なおかつ数学も出来ないので、ただの独りよがりというか、真面目系クズになるしかない。あるいは、有村悠さんの場合、「東大で歴史を学んだ」というインチキも問題であろう。東大文学部西洋史学科を退学処分になっているのだから、むしろ世界史について無知だと証明されている。日本史なら詳しいという悪あがきなのか、戦史などを語っていたが、所詮はWikipediaのコピペである。歴史の勉強など「役に立たない」典型だが、有村悠さんはフォロワー一万人くらいいるし、たくさんの人から疎まれている一方で、物見高い連中の人気者でもあるので、社会に無用な歴史学であれ極めれば文人墨客を気取るくらいはできそうだが、やはりこれも、ママンの笞刑で丸暗記していた時代から成長がない。これがエジソンだったら独学で歴史を極めていたかも、いや、エジソンは挫折しなかったADHDの典型であるから、挫折体験を持つ有村悠さんと真逆なのは当然だが、やはり挫折する前に矯正するか、あるいは長所として褒めて伸ばすか、ともかく、挫折して鬱や人格障害で廃疾になってからどうこうしても手遅れなのも確かだ。
2018.03.22

謝ったら死ぬ

われわれは権利問題を巡って他人と話し合うことを喧嘩と呼んでいる。
大衆酒場で酔漢が掴み合いをしているわけでもあるまいし、権利問題の話し合いを喧嘩と呼ぶのは変ではあるが、しっくりくるのも確かである。
これは要するに、譲歩する用意があるかどうかである。
価格の話なら交渉のテーブルはあるが、バンドで誰が脱退するかとか、ただの敵対である。
自分から迂闊に譲歩してしまうと、相手がやたらと強気になって、こちらが負けてしまう。
だから最大限の要求をぶつけ合うしかなく、やはりこれは喧嘩と呼ぶしかないのである。

誰かが事務的に仲裁してくれると、譲歩案なども述べやすいが、当事者だとなかなかそういうわけにもいかない。
そもそもそういう仲裁者もなかなかいない。
弁護士が入ると、むしろ最大限の要求を強気ですることになる。
これは弁護士が双方代理を禁じられているからで、一方的な言い分を言うしかないこともある。
だから、弁護士が言っているから正しいわけではないし、むしろかなり吹っかけた暴論であるわけだ。

最大限の要求というのは、バランスを取る気がないわけで強引そのものだが、こちらだけ譲歩するわけにはいかないので、ちょっと無理な主張をすることもある。
このような組み手争いは喧嘩と呼ぶしかない。

「謝ったら死ぬ病」というネットスラングがあるようだが、これは、第三者が見ていているところでは強気な主張が阿呆でしかないということだろう。
当事者だけの密室なら、謝ったら死ぬという勢いでやるのは珍しくない。
この間とある大企業(有名だが一流半くらいの上場企業)の人と口論になった。後難を避けるため仔細までは述べないし、故意に曖昧な記述をして輪郭をぼかすことにするから作り話も同然である。なお、普段からの力関係はない。その大企業の迷惑行為が法令に違反しており、こちらの権利を侵害しているので、わたしが文句を言っただけである。具体的には書かないが、悪質さの程度を喩えるなら駐車禁止のところにいつも車を停めてる程度のことである。出てきたひとたちは如何にも平凡で正常という具合で、オフィスに出社して勤務している形態だから、おそらく正社員である。そして半笑いしながら「その法律は知らない」と白々しいことを言うのである。誰でも知ってるようなことだから、大企業の正社員が知らないわけはないのだが、「知らなかった」と言うのが仕事なのであろう。ともかくわたしが目を三角にして非常に強く言ってその迷惑行為をやめていただいた。それ以降は、これまで延々と続いていた迷惑行為が完全に止まった。注意をしたのはわたしが最初ではないはずなので、本来なら誰かから感謝されてもよさそうだが、まったくそれはないし、迷惑行為がなくなって晴れやかな蒼天が広がったというよりは、むしろ殺伐とした暗雲が立ち込め、その暗澹たる影に覆われた生臭い犯行現場で実況見分をしているというか、こちらが忌むべき大罪人になったような胸クソ悪さである。おそらく世の中には黙認されていることも多々あるのだが、問題の件はその枠ではない。たぶん他でもトラブルになってる。とはいえ重大な犯罪やスキャンダルでもないし、裁判で争うほどの大袈裟な問題ではないから、権利侵害や法令違反を承知で強引にやっているのであろう。ああやって普段から他人にビンボールを投げている連中も家に帰ればいいお父さんなのだろうし、「その法律は知らない」と言い張るのも精神病の妄想ではないから癲狂院とは生涯無縁である。人権団体などが出てくると大企業は平身低頭するが、やはり普段は法令違反でトラブルを起こしているのだし、この白々しさこそが正常世界だと思ったわけである。グレーゾーンあってこその世界ではあるのだろうし、清濁併せ呑むことも必要なのだろうが、やはり世間的に認められているグレーゾーンと、認められていないグレーゾーンがあり、今回の迷惑行為がどちらであるかは、ここでわたしが主観的に述べても意味はなかろうが、あの連中が引き下がっていったのは「その法律は知らない」というのが虚言だからであろう。彼らも普段はすごいしっかりしているはずで、接客などではずいぶん好人物なのだろうが、違法駐車のような行為を繰り返して注意されたら人を小馬鹿にしたような半笑いで返すわけで、これこそが正常人なのである。法人という御神体を刑務所に入れるわけにもいかず、あの腐った連中にしても御家庭では、水戸黄門を守る助さん格さんということかもしれない。悪党に使嗾されるのも使命であろう。命令される美学の実態。忠実なるすべての軍人は賞賛に値するというイデオロギー装置。
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