承認願望というが、これは誰でも持っているものである。
自己愛こそが人間である。
だが、この全能感を野放図にするわけにはいかないので、現実の額面を問うことになっている。
自己愛の強さが現実の額面を書き換えるような不正行為に至った場合に、見苦しい承認願望として腐った死臭を放つ。

わたしが脳内では陸上のスターのつもりだとする。
100メートルを8秒で走れる脳内設定で、オリンピックで金メダルを獲る場面を空想し続けているとする。
当然ながら、これは現実において覆される。
この現実というのも地球上の生命体の設定にすぎないが、ともかくわたしが100メートル8秒で走れないことは、他者に対して剥き出しにされている。

われわれが肉体を与えられていて、その性能が固定していて、「他者」という存在に対して剥き出しになっていることが現実の根幹をなしている。
100メートルを8秒で走るというわたしの脳内設定は、「他者」から唾棄されてしまうのである。
つまり、他者を求めているからこそ、ここが壁になる。
100メートル8秒で走れることを他人に認めさせることは出来ないので、ここが大きなネックであるし、現実に立ち返るしかない。
それで断念するとは限らないし、死の灰と言うべき大地から、自分が100メートル8秒で走れるという観念が懲りずに育っていくこともあり得る。
だが、どれだけ繰り返したところで、他人から承認されることはない。
肉体の性能が固定されているからこそ、額面を書き換えられない現実がある。

あるいは、100メートルを8秒で走れると嘘をついて、誰かがそれを信じたとすれば、他人から詐欺的に承認が得られたのかもしれないが、本当に100メートル8秒で走ってみせることは出来ないから、どこかで詰むだろう。

努力によって実力の額面を書き換えることは出来るが、素質の違いがあるので限度がある。
はるかぜがいくら頑張っても芦田愛菜の額面にはならない。
まったくすごくない人が、すごい人だという自己愛を持っているのが人間らしさかもしれないし、はるかぜ親子は現実の額面を認めないで生きていくのである。
とはいえ、やはり最後に問われるのは本当の額面である。
病識がない精神分裂病は異常者として隔離される。これをどういう理屈なのか、病識があればあるほど正常であるという奇妙な発想につなげる人がいるようだ。健康であれば病識などないのだから、自らの不健康を厭い、自覚症状を高らかに謳ってみせるのは反省の演技でしかなく、カルマの積み重ねである。痴れ者が微かな意識で正常さを辛うじて保っているのであれば、不具者と見なして差し支えないはずだが、理性の欠片がまだ残っているという変なプライドがあるらしい。人格障害はだいたいがこの手合いであり、箍が外れた精神状態を自覚しているというアピールを繰り返す。サッカーでPKを貰うためのシミュレーションのようなもの、いや、シミュレーションがバレるようにダイブしてイエローカードを貰いたいのかもしれないが、喩え話だから細かいことはともかく、この現実をゲームと見做してわざと倒れてみせるような芝居がかったことをするわけだ。本当に気が触れているのではなく故意である、という理非を違えた免罪符らしい。現実と空想の区別は付いているが、軸足は空想に置かれている。第三者が嗅ぎ分けるとすれば、現実というナマモノが傷んで腐乱していく瘴気が漂う。妄想ではない、つまり現実世界とのズレについて病識があるから大丈夫と思ってるらしく、ファンタジーの垂れ流しは平気でやる。自己愛という悪魔が棲みつき、深く友誼を結んでいる。自傷行為はだいたいが自己言及であり、みずからの血塗れの躰を他人事のように見ることで、その病める精神を延々と反芻する。壊れている自分を冷静に眺める正常な自分というのが病識であり、その意識を強めることで、自己存在の泥土を綺麗に浚ったつもりらしい。戦乱の颶風を吹かせ、狂奔のごとく暴れる輪廻を繰り返し、梁を上げるような火柱とともに灼熱が燎原の火のごとく広がり、森羅万象を飴細工のように枉げていくとしても、それを花鳥風月のように眺めている冷静な自分がいるらしい。
https://blog.twitter.com/ja/2017/0208safety
アカウントを永久的に停止された方が新しいアカウントをつくることを阻止するための識別ができるようにします。これにより、もっともよく見かけ、また大きな影響を与えやすい、罵倒や嫌がらせのためだけのアカウントを作成するケースを減らすことができると考えています。

トランプが当選したことで、ポリコレの反動が強まったという印象がある。
言わば踏み絵を踏むように、反トランプとして旗幟を鮮明にしなければならない。
IT業界は広告で生活しているわけである。
トランプ現象でツイッター社の広告が増えたわけではないそうだから、スポンサーに対してコンプライアンスを主張する実利の問題もあるだろう。

最近の大統領令は過半数の米国民が支持しており、ヒラリーの地盤である大都市での反対運動が目立つだけである。
移民を制限したいのが米国民の本音である。
そのような本音が繁殖する文化運動としてツイッターは使われたのであり、これは人類の革命であるが、やはり反ポリコレの拠点というイメージだと、広告は出稿してもらえない。

ようやく有権者の意識がアメリカ大統領選挙に反映され、左翼メディア支配に終止符が打たれたと思ったのに、なぜ逆の方向に行くのか。
まず前述のようなコンプライアンスの問題があるが、有権者はこれにノーを突きつけたわけである。
この有権者の姿勢が、企業広告に反映されていない。
まだ左翼メディアが死んでないのもあるし、有権者という畜群は、綺麗事にうんざりしているのに、企業には綺麗事で難癖を付ける矛盾した体質もある。
有料サービスにするつもりはないようだから、これについて長々と述べても意味はあるまいが、そもそも企業は何のために広告を出しているのかという根源的な問題に至る。
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このところ、ロシアへの強硬姿勢を求めるマケインが、制裁を解除したがるトランプを阻止する立法に動くなど、いろいろと対立している。
そしてトランプがマケインに暴言を吐いたりしているわけだ。

まずトランプが妙にロシア寄りなのは確かである。
ここは不自然である。
とはいえ、国務長官になったエクソンモービルCEOのティラーソンは明らかにブッシュの友達である。
ティラーソンはベイカーとかなり昔から友人であるらしく、そこからブッシュ周辺と親しくなったようだ。

数日前のスーパーボウルでは、ブッシュ(父親)がコイントスをしたのだが、それを客席から見ていたのがマイク・ペンスとジェームス・ベイカーであった。
この少し前にティラーソンが国務長官になったことと関係はあるだろう。

ベイカーはレーガン政権の一期では首席補佐官、二期では財務長官を務めている。
ブッシュ(父親)の時は国務長官である。

ティラーソンはエクソンモービルCEOとしてプーチンと友達であるからロシアとの関係を疑われているのだが、そもそもブッシュ(息子)のときの国務長官だったライスが推薦してきたわけである。
またティラーソンの承認で揉めている時にブッシュ(息子)が上院議員に推薦電話をしていたことも明らかになっている。

だから、ロシアへの懸念というのは杞憂であろうと思うし、こうやってマイク・ペンスとジェームス・ベイカーが並んで観戦しているのを見ると、トランプが単独で暴走しているというのは考えづらい。

1月30日にトランプはマケインをこのように批判したわけである。

The joint statement of former presidential candidates John McCain & Lindsey Graham is wrong - they are sadly weak on immigration. The two Senators should focus their energies on ISIS, illegal immigration and border security instead of always looking to start World War III.

第三次世界大戦をやりたがるのではなく、移民と国境警備とイスラム国に専念しろ、ということだ。
マケインはロシアと戦争をしたがっている、と言いたげである。

マケインの側の思惑はよくわからないわけだ。
マケインが、クリミア半島を巡っての正義のために純粋な怒りを抱いているかどうかは判然としない。
頭に思い浮かんだことを全部書くのは自由だが、とても読みづらいので、脱線した箇所は推敲で削らなければならない。
脱線しそうなところで脱線しないのであるから、文章表現というのは、普段の思考そのままではない。
とあるタレントについて語っていて、そのタレントの活動を紹介するとして、たとえばマクドナルドのCMに出ていたとして、ああそう言えば、とマクドナルドの原田社長の話に転じていくとすれば、それは脱線である。
調べてみると原田社長はベネッセを2016年6月に退任しているようで、ここからさらに脱線することも可能であろうが、文章でそこまで筆を走らせてしまったら、そこはすべて削除するか、もしくは筆を改めて新しい原稿を起こすことになる。
脱線していたら読めないということはあるまいが、そのタレントについての記事であるのに、途中から原田社長について長々と語っていたら、やはり変ではあるだろう。
雑駁たる文章が許されないというわけではないし、もしくは、万遍なく総花的に書き綴ることだってあるだろうが、テーマを決めているなら、そこに絞って書かなければならない。
これは読む側のワーキングメモリーへの配慮である。
とあるタレントについての記事を探し求めている読者からすると、たまたまマクドナルドのCMに出ているだけで、原田社長の話が長々と入っていたら、主題であるタレントさんの話に戻るまで、セーブポイントというか、脱線する直前の状態を頭に保持しておかなければならず、この負荷はとても面倒である。
書き手の配慮として、脱線部分は推敲するときに泣く泣く省くのである。
論旨についても、右顧左眄してはならない。
たとえばA案とB案に一長一短あるとしても、どちらかを支持する論陣を張ったほうが読みやすい。
ああいう見方もあればこういう見方もあると色んな確度から眺めて、全体をなぞって概説するような煮え切らない文章を書くことが求められるケースもあるが、そう依頼されているのでなければ、どちらかに立場を固定して決めつけて書いたほうが読みやすい。
相手の考えにも一理あるとか譲歩すると蛇足になりがちなので、そうやって予防線を張らないと危険だとか、意図的に不明瞭にしたいのでなければ、かなり断定的に書いたほうがいいのである。
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