かつて世間知らずは美徳とされていた。有村悠さんのような鈍感な人間が肯定的に見られる側面があったのである。箱入り娘にしておきたいという発想は古来からのものであるし、戦後社会では教育ママが男子に対してもいわゆる過保護として箱入り息子にするべく血道を上げていたのである。ソーシャルスキルを去勢するものであるから、昨今の社会では時代錯誤も極まりないが、こういう鈍い男子は悪知恵も働かないし、独善的な資質を持った母親にとっては理想的だったのだ。社会性のある善人だってたくさんいるので、世間慣れすると悪知恵が身について穢れるというのは必ずしも正しくないし、つまるところ神経症的な潔癖さの問題となるだろう。39歳まで無菌室育ちの有村悠さんを見れば、世間知らずは美徳であるどころか、戦慄するべきテロリストという側面もある。善人と悪人というのも多種多様であり、刑務所の囚人のマジョリティは知的障害者である。この知的障害者の群れはまさに知恵遅れであり、悪知恵の欠落により警察にすぐに捕まって刑務所の常連となる。このところ大企業が、法的に必要な基準を満たしていない製品を製造している実態が報じられているが、これなどは社会全般に胚胎し絶え間なく湧いてくる悪知恵である。バブル経済の頃の大手銀行も同じことである。この手の悪知恵に手を染めないためには有村悠さんのようになればいいという発想もありえるのである。ロンブー淳や西村博之のように社会的な悪知恵を体現した怪物に比べれば、有村悠さんの方がマシだというのが有村ママンの潔癖な考えなのである。もちろん、ごく普通に真っ当な社会人もいるのだから、こういう二択で考えなくてもいいだろうが、有村悠さん個人はだいたいロンブー敦や西村博之と似たり寄ったりの人間性であるし、悪知恵を身につけるか否かという二者択一になるであろう。悪知恵を巡って戦うのが社会の力学であり、そのせめぎ合いこそが人間とも言える。悪知恵を壊滅すべく知性を使う自由もある。それによって悪知恵が根絶やしにされることはなく、悪漢の一群が退場し、その隙間を縫うように別の連中が新しい悪知恵で台頭する不毛な戦いでもある。大雑把に善と悪は決まっているが、なんとも言えない灰色の領域こそが悪知恵の主戦場となるので、東京地検特捜部のように正義の英雄として一世を風靡して、いつの間にか悪知恵を働かす側に転じてしまうのも人間らしい光景である。このような血腥い俗物との生々しい闘いに参戦しなかったのが有村悠さんだが、東大卒エリートの悪知恵に高卒の有村さんが対抗するのは無理であるし、このまま無菌室で空疎な思想を振り回しながら、十年一日の如く生きていくしかないのであろう。
円周率を3で教えるというのは一種の誤解だったようだ。
(wikipediaを参考文献としてこのエントリーを書いている)。

内容の「B量と測定」の(1)のウ及び「C図形」の(1)のエについては、円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する必要がある。

ゆとり教育の頃の学習指導要領にこういう文言があり、実際に3で教えることはほとんどなかったらしいのだが、針小棒大に取り上げられて「誤解」を生んだようである。

そもそも3.14はほとんどの人が知っているが、円周率を本質的に理解している人がそう多いとは思えないし、結局は、突き詰めて考えると難しいので、噛み砕いて教えるということである。仏教で言えば、人それぞれの機根に合わせて説明するということになろう。

「円周率は3」にインパクトがあったのは、いくらなんでも噛み砕きすぎということであろうが、これは普段から噛み砕かれた説明を受容している人間に突きつけられたテーマだったのである。

円周率の3.14だけ暗記している人間と、本質を理解している人間の差というのがまず言えるわけだが、ここからさらに理解の断絶がありうるのである。
このところの高学歴社会においては、同じ専門家でもずいぶん優劣があることを痛感させられる。
適度な模範解答に納得できる素直な心の持ち主がずいぶんいて、こういうひとは、円周率の本質もそこそこ理解していたりするのだが、決して執拗には探求しない。
知能指数の違いなのか、性格の問題なのか、ともかく専門家だから緻密に理解しているとは限らない。

あるいは、優秀な弁護士が円周率を知らないとか、天才数学者が法律を知らないこともあろうし、噛み砕かれた答えで世界を把握しているのが人間の実態でもある。
水野由結ちゃんは昨年12月の中元すず香生誕祭をバックレてから消息不明のまま脱退となったので、本人のコンディションについてわれわれは知る由もない。センセーショナルなデビューを飾ったルーキーが監督のエゴで酷使され再起不能になったというのが表面上の印象、つまり、あくまで身体や精神の崩壊であり、中元すず香との不仲が原因ではないということになっている。実際は人間関係が最大の理由で、故障などたいしたことないという可能性も十分にあるのだが、これは実際に本人が出てくるまではわかるまい。水野由結ちゃんはまさに存在そのものが美であり、美しいから美しいという当たり前の理法で天衣無縫に咲き乱れていたのだが、YouTubeを経由してBABYMETALが海外で話題になり、英国では五千人を集めた単独ライブも行い、日本に凱旋し華々しい栄光を手にするかと思いきや、BABYMETALのプロデューサー(中元すず香のプロデューサー)は、海外の都市をバス移動でドサ回りという考えがたいことをやったのである。日本なら狭いビジネスホテルでもずいぶん小綺麗で清潔感があるが、海外で小汚いライブハウスめぐりをするのは、さぞかし大変だったに違いない。なおかつメタルバンドに傾斜したことで水野由結ちゃんがいるのかいないのかわからなくなった。可憐Girl's後継ユニットということでBABYMETALに勧誘されて、メタルバンドの脇役になってしまったのが水野由結ちゃんであるが、中元すず香は可憐Girl'sのオリジナルメンバーとはいえ、絶対可憐たる要素が寸毫たりとも認められない。中元のために可憐Girl'sというギミックを取り外したことで、水野由結ちゃんの絶対可憐さは断ち切られ改竄され、すべては灰燼に帰した。ところで、可憐Girl'sの第一人者と言えば、どう考えても南條愛乃さんである。美それ自体である水野由結ちゃんと、まったく美人ではないが美意識で魅せる南條愛乃さんではまったく違うように思えるが、しかし、実際に南條愛乃さんが可憐Girl'sをやってみた映像を見れば(ちなみにわたしは現地でも見ているが)、なぜか重なり合うのである。可憐Girl'sはイロモノであるから、このギミックを演じきれるかどうかで、本物かどうかが試される。高級な服を着ているから高級であるというのは俗人の考えであり、可憐Girl'sの衣装だからこそ本質が見える。これを最も素晴らしい形でやったのは南條愛乃さんであるし、そして、これからというときにメタルバンドに変更されてしまったのが水野由結ちゃんである。母親がバレーボールの選手で体幹の強さが特徴の水野由結ちゃんは可愛らしい見た目に似つかわしくないダンスができるのだが、そういう外的なスペックだけが水野由結ちゃんの魅力ではあるまい。やはり絶対可憐なる者への憧れ、そして、そういう可愛らしさを持ち合わせていることをまったく嫌味なく自慢げにしているのが水野由結ちゃんだったのである。悩みなく明るい世界を無邪気に生きていた水野由結ちゃんは、重苦しい暁闇を前に自らの属性を柩に入れなければならないのだろうし、人間は同一人物として生きながらも、通過儀礼が来るたびに自己の断片を失わなければならないのだが、水野由結ちゃんやドナルド・トランプのような世界史的人物には幸福などまったく必要がないし、傷が癒えようが癒えまいが、疼痛が絶えない戦傷もひとつの運命愛として果断なく超越的なものに向かうのである。憂い顔を覚えてしまった水野由結ちゃんは、もう昔には戻れないが、それすらも絶対可憐というテーマに昇華されるのである。
KDDIの代理店から迷惑を蒙って業腹な経験のあるひとは少なくあるまい。そもそもKDDIの代理店の走りと言えば光通信である。光通信はDDI(第二電電)の代理店としてかなり荒っぽい営業をやって、悪い意味での一時代を築いたわけである。そのDDI(第二電電)は現在はKDDIとなっているが、代理店の荒っぽさは変化がない。光通信創業者の重田康光は半グレの典型であり、悪人ではあるが暴力団と接点がない。1992年に暴対法が施行され、大企業は裏社会と縁を切るということになった。光通信の創業は1988年で、DDIの代理店になったのもこの年からである。光通信が東証一部に上場したのは1999年であるが、90年代に光通信が躍進したのは、重田康光が暴力団と無関係の半グレだったからである。光通信が傘下の代理店に圧力を掛ける際には高額訴訟を乱発するのが手口であったし、光通信本体に暴力団は出てこない。光通信のビジネスモデルは携帯電話のインセンティブを悪辣な方法で吸い上げるという単純なものであり、「寝かせ」など誰でも思いつくようなものだから、DDI(第二電電)が被害者ヅラするのは如何なものかと思う。飼い犬に手を噛まれただけである。光通信の周辺には暴力団員も登場するが、これはITバブルの文脈で出資した企業に暴力団関係者が食い込んだという構図である。重田康光や光通信本体に暴力団は食い込んでいない。そして携帯電話販売の本業の部分では、暴力団と無縁と言っていいのである。暴対法以降の世相において、重田康光という悪人は暴力団と無関係であるメリットをかなり理解していた。どれだけ悪かろうが、暴力団でなければいいのである。光通信に関わって儲かった人はほとんどいないとされるが、重田康光本人は個人資産を確保して今でも億万長者である。このような問題をKDDIはまったく反省していない。いまだに新聞勧誘の拡張団みたいな半グレがKDDIの代理店をやっているのは、光通信の遺伝子ということだろう。
耳学問で生半可な愚見を述べるのは好ましくないが、世界最終大戦に白黒つけるわけではないし、むしろ卑近な現代システムについてなぜこうなっているのか、という思考の遊戯であるから雑然たる文章を書くのもいいであろうし、正解はわからんが、ポイントカードの跋扈を憂いている人間も少なくないはずなので、試し刷りのように書き綴ることにする。五万円の品物に五万五千円という値札を付けて、5000ポイント還元とか、昭和の時代の人間なら飛び跳ねて歓喜しただろうが、価格を比較できる昨今だとポイントが上乗せされているだけという実態に気づくわけだ。それでも家電量販店は盛時の勢いを失いながらも、まだまだ成り立っている。そしてポイントカード文化はペストのような悪疫となっており、レジの人からなにか言われるとポイントカードのことだと思うから「持ってません」「いりません」と反射的に答えてしまい、コミュニケーションに齟齬をきたすこともある。先日、たまたま税理士の先生と雑談をする機会があり、ほんの短い時間を埋めるために家電量販店のポイントは経費としてどういう扱いになるのかと、なんとなく尋ねてみた。税理士の先生いわく、会社の経費で買うとしたら、ポイントは自分のものにしても大丈夫らしい。5000ポイントは五千円と等価ではないし、その店でしか使えない縛りがあり、ポイントにポイントは付かないので、明らかに五千円より価値は低いが、とはいえ、金銭的な価値があるのも確かであるが、なぜか税務署はあまり厳しくないようである。むしろ会社の方が厳しく、経費を使うときには会社のポイントカードを使うことしか認めない、ということもあるようだ。そもそもポイントを含めたら明らかに割高なのだから、そうやすやすと家電量販店で社員に買い物させるとも思えない。そうやってお話を伺いつつ、ポイントを貯めるという阿呆なシステムが世の中から消えないのは、会社の経費で購入して、ポイントは個人のカードに入れる人がずいぶんいる、とも思ったわけである。家電量販店だけの問題ではないし、あちこちで会社の経費を使って、ポイントを自分のカードに付けている人がずいぶんたくさんいるのだろう。正解か不正解か知らないが、どちらでも構わない。
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